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アルバーチョ祇園

中村もんどさんが初めてライブに来られたのは2016.7月の竹麿さん企画の京都「わからん屋」でした。
それからの京都・大阪のライブは欠かさず連日来てくださって「このような企画とかした事ないのですが」と言いながら昨年2018.4月に初めてもんどさん企画で「アルバーチョ祇園」のライブが実現した。

中国上海で私のライブの企画をしてくれるモリシゲさんが京都の大学を出ていて、京都には音楽仲間が沢山いるから紹介したいと一緒にライブをしたのは2013.10月京都の「夜想」と言うお店で「特に彼に会わせたかった」とウッディを紹介してくれた。
それからはモリシゲさん繋がりで、光さん、東くん、光太郎くん、タッキー、山本(敢えて呼び捨て爆)等本当に沢山ライブに来てくれてる中、昨夜のアルバーチョはもんどさんもファンと言うウッディの拓郎コピーバンド「マークⅣ」と一緒でした。

なんかね、小さないろんな形で繋がっていて不思議。
そして幸せ^ ^
上海のライブの時に「a Pearl」と言う曲を歌った。
時に中国は反日で「外では日本語では話さないように」と言われ、日本車を見たら傷つけられたりとそれは厳しい中、沢山の日本人がそこで暮らしていて。
「大切な人がこの国に沢山いるの」と私は歌った。
モリシゲさんが「パールいいですよ。純子さん、セピアを毎回リストに入れてるようにパールもセットリストに入れるべきですよ!」って褒めてもらって、それからはまた全く歌ってなかった歌を今夜演った。

今夜のアンケートは「a Pearl」が良かったとみんな書いてくれてる。
やっぱり歌わなきゃ。

ライブの後は、打ち上げを兼ねた忘年会^ ^
アルバーチョの料理とケーキバイキング!(◎_◎;)
みんなプレゼント持ち寄って交換会とかもあって^ ^
私はビートルズのTシャツとお洒落な石鹸を頂いた。
2千円食べ放題、飲み放題でケーキバイキング付き!
もんどさん、無理してるんだろうなぁ。。。なんて思いながら、みんなの楽しそうな顔を見てた。

大切な人が沢山いるの。
そして感謝してばかりです。

関西入り

月曜日、夜勤明けの弘田さんがゲストハウス弘田にお迎えに来てくれて、淡路島まで送ってくれた。
「ここからバスに乗って舞子で降りるとJRに直結しちゅうが」って!笑
隊長から「舞子まで行くでぇ」とメールが入り、
弘田さんとバス停を探す。
えらい遠いし、階段もある。
「あー、面倒臭いわ、橋渡るか!」と弘田さんが言って、すぐに隊長から「舞子に着いたでー」って。
「観覧車の下におるんだけど、バスの乗り場が遠くてこれから垂水まで行ってくれるそうなんで、垂水に移動してもらえますかー?」と言うと、
「ほな観覧車まで行くわ」って^ ^

大きな観覧車の下で、弘田さんから隊長と青木さんに原口純子の引渡しの儀が行われてね^ ^笑

月曜からは「稲美邸」でお世話になってます。
月曜の夜はお店で青木さんのバンドが練習して、
恭子と門積さんが「おかえり〜」って来てくれた。

火曜は「来たね〰️❗今日行くから、おるやろ?」って櫻井さんからメールが来て崎谷さんも来てくれた♪
水曜は、よっしーとキャンちゃんが「湯庵」って三木の温泉に連れてってくれて、来週京都から戻る日は西明石で待っててくれて「コストコ行こ〜」って^ ^

今日は昼間に恭子が来て、これからは崎谷さんが来て来週の「K.county」ライブの練習です。
土曜日の大阪は稲美まで明さんがお迎えに来てくれて、お店でランチ会をやってくれるそうで、明さんとみんなでランチしてから瓢箪山に向かいます♪

瓢箪山に着けばクマちゃん、
翌日からの京都はもんどさんが。。
皆さんにお世話になりながら、今年最後のツアー頑張っておりますヽ(〃^・^〃)ノ

高知の休日

高知「パラダイム」土佐「ビアンコ」と終わりました。
今年から高知は「未来仙人」の弘田さんが企画、主催をしてくれて、そして今回は2DAYSのライブと夜は「ゲストハウス弘田」でお泊りさせてもらっています。

大好きな高知、ゆっくりしたいのにこれまでライブが終わったらすぐに移動しておりました(>_<)
それでも前回は津山の恵美さんが同行してくれて「わたしゃもう一泊するけぇ」と言うので同じホテルを取り翌日は「植物園」から高知城、ひろめ市場でカツオと遊んでもらい、とっても楽しかったから。
今回も味をしめて今日まで泊めてもらい今日は敬さんに一日遊んでもらいます^ ^

夕べビアンコの打ち上げで、
「原口、明日は軽トラでいいか?」と敬さんが言って「全然構いません」って返事をした。
「敬さん、アルファードもあるがよ」と弘田さんが言った。
隣にいた西本くんが「純子さん、私アルファードじゃなきゃ嫌」って言わなきゃ、と言う。
「あー、私それが言える女になりたーい(>_<)」と言うと、初めて来て頂いたご年配の紳士が、
「いや、純子さんはこのままで今の感じのラブソングを書かれたらいいですよ」と微笑んだ。

ゲストハウスを出て敬さんを待ってます。
さて。。。
敬さん、お迎えは軽トラかな?
それともアルファードでしょうかー?笑

Bluetoothとコンサート

今日は「少し遅れだけど」って誕生日のプレゼントをもらった^ ^
誕生日は下田で歌ってたし、関東から戻ってすぐに広島だったし、広島から戻って翌日は島原に梅ちゃんに逢いに行ったから。
1ヶ月近く遅れのプレゼント^ ^

島原は、もう何も話さなくなった梅ちゃんに逢いに。
「純ちゃんに逢いたがっとるんよ」とあーさんから連絡が来た。ツアー中だったから「関東の後は広島でね。広島から戻ったらすぐに行くね」と言ってたの。
そんなに早いなんて思ってなくて。
帰る前の夜、satoの家で長崎までの電車の時刻とか調べてたのに、明け方あーさんから亡くなった知らせが届いた。
間に合わなかった。
結局「ワインバー田舎」にではなく、島原に梅ちゃんに逢いに行った。
そんなショックから少し塞ぎ込んでいて。

もう来週からはツアーが始まる。
ぼちぼち歩き始めんばいかん。
そんな今日Bluetoothをもらい、今はベッドに入ってヘッドホンで音楽を聴いてます。
夢だったの♪
夜はアンプに繋がれて音楽聴いてたから。
今夜からこのまま寝落ちも出来るのです!^ ^

それから夕方からはとしぼーに誘われて「加藤登紀子」のコンサートでした。
お登紀さん、75歳なんですって!(◎_◎;)
「私はとても無理」って言ったらとしぼーが、
「純子さん、年金もかけてないんだから75まで歌わなやろ〜」と言った(>_<)

好きな曲が聴けたから良かったの。
「難破船」

たかが恋人をなくしただけで
何もかもが消えたわ

そんな恋を、もうしたくはないな。
と思いながら遠い時間が懐かしくて。。
としぼーのお陰でセンチメンタルだわ。笑

だってヘッドホンから流れる歌も、
40年前のUスタの「RINGO」なんだもの。笑

宝物なの。
沢山の出逢いに感謝してします。
出逢えた人、音楽。。。
梅ちゃんにも感謝してる。
久し振りにガングの橋に逢った。
10年以上なるかな、裕司さんからも連絡が来た。
あの頃「田舎」での出逢いがあったから今の私があるのかも?とも言える。

ありがとう。



夢来やっちゃん

5年とかに一度の同窓会でしか会わない河野くんからメッセージが届いた。
「こんにちは🎵
ずいぶんご無沙汰してます。
河野です!
元気にしてますか?(^^)
7月に大石でライブをやりませんか?
日程や詳細は大石さんから改めて連絡かあると思うのでヨロシクお願いします(`◇´)ゞ」と言う話で6月18日の事。
私は北海道の苫小牧にいて、旭川に移動ってところだった。
「7月なら最終の27日に福岡があり、その翌日の28日。
8月で良ければ3日なら余裕あります」と返事をした。
「なら8/3にお願いします」とすぐに決めてくれた。

「大衆フォーク酒場大石」は、2017年2月に夢来の小野やっちゃんが企画をしてくれたお店だった。
忘れられないのは、
前の年の2016年7月にやっちゃんが大分の「SCENE」で企画してくれて、いつものように甲原さんが来てくれた。
「純子さん、僕の家がな、すぐ近いんよ。
今度時間がある時に飲みにおいでよ」と言ってくれた。
なかなか人の家にお呼ばれするのは気がひけて。。
それが翌年の事、毎年来る甲原さんからの年賀がなく、
1月半ばも過ぎて「喪中」が届いた。
甲原さんが亡くなった、とある。

やっちゃんに電話した。
「そんなん知らんで。甲原先生、7月の「SCENE」に来ちょったやねぇかえ〜」って。
そうなの、だから電話したの。

「家に連絡したら、甲原先生やっぱり亡くなったそうやわ。純ちゃん、2月の大石の時早目に来て甲原先生とこ行くかえ?連れて行くで」ってやっちゃんが言った。

大石の日、駅にお迎えに来てくれて、
ランチをご馳走してくれて、リハの前に甲原さんの家に向かった。
昨年7月のライブの後、甲原さんは9月の夕暮れに「夕焼けが見たい」って奥さんと近くの公園に行って家に戻って来て頭が痛いって倒れて、そのまま亡くなったそうです。
「主人のアトリエ、まだそのままにしてあるんです。見られますか?」って言われて通された。
部屋のテレビのすぐ横の壁に私のフライヤーが貼ってある。
「主人はいつもここに座って飲みながらテレビを見てたんです。きっと喜んでると思います。純子さんとここで飲みたいって言ってたから。手作りの真空管のステレオ、これもよくかけてました」と言い、そちらを見ると真空管のアンプの上に私のCDがあった。
どうして私は、お言葉に甘えてここにお邪魔しなかったんだろう、と真剣に悔やまれた(T_T)

「大石」と聞いてそんな時間を思い出した。
もう、逢えない人。
もっと逢っておきたかった人。
その日の大石のライブでは、アンコールに甲原さんの事思って「追憶」を歌った。

6月27日同級生の岡島くんから電話です。
「北海道やろ?天気はどう?」
岡島くんね、私のツアーのチェックはちゃんとしてくれてる人なんです。だからね、ツアー中の電話だなんて何かあったのかな?と思った。
「それとな、誰かから聞いたかも知れんけど。
夢来の小野さんが亡くなったそうなんや、昨日」

ねぇ、ちょっと待って。
なんで?そんな事あるはずない。

「大石」の日、やっちゃんが好きって、俺も歌っていい?と言ってくれてた「とまどい鎮魂歌」を歌った。
翌日は智ちゃんとキミさんがやっちゃん宅に連れて行ってくれた。
4月に腰が痛くて病院に行ったら膵臓癌、ステージ4で余命3ヶ月と言われたそうです。
でももう一度歌いたいって、凄く頑張ったって。
「晩ご飯を食べたらすぐにここに座ってギターを毎晩弾いてたんですよ。よく原口さんのCDをかけて一緒に歌いよったわぁ。原口さん、主人の分までこれからもずっと歌ってな」と奥さんが言った。

もう逢えない人。
もっと逢っておきたかった。

「最初の頃はな、ライバル心でいっぱいやって話もせんかったけどな。今は純ちゃんのファンで!」
そう言って私のTシャツを着て、ライブの企画をしてくれた、あの頃憧れだった夢来のやっちゃん。
私がそちらに行くまで、そちらで楽しく歌っていてください。

ありがとう。
心よりご冥福をお祈りいたします。