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暑中お見舞い申し上げます。

今年も猛暑。
昨年の夏の暑さは、恐らく史上初の暑さだったと思います。
それでも、今月のバンボストックも雨だったからそこまでの暑さではなくて、
稲美でも夜は少し肌寒い夜もあったくらいで、今年は少しマシなのかな?って思ってたら。。。
九州に戻って翌日梅雨明け、途端にすこぶる暑さです(涙)
暑いの苦手。。。

部屋に大切なギターが3本。
実は、ホントはもう1本可愛いらし〜いギターがあるんですが^^
除湿機をつけないと湿度は68%だし気温は31〜2℃
それで除湿機をつけてエアコンをつけて。。。
そしたら47%の28.5℃位になってます。
それでも夜は喉がおかしくなるんで、消してます。
途端に寝苦しくて(>_<)
皆さんも、寝苦しい夜をお過ごしかと思います。
どうぞ、日中の暑い中でのお仕事、
夜は疲れた身体をゆっくり休めてくださいね^^

土曜日はチープサイド、久富くんとライブでした。
彼は、私が別府から福岡に出た頃「照和」や「ウェザーリポート」や「にんじんハウス」やら、
同じお店で歌っていて、その頃の知り合い。
4月の初のチープサイドの時、たまたま帰省していてお店から実家が近いと言って来てくれた。
で、7月にまた福岡へ戻るって話で、今回二人で福岡ライブをすることになりました。
でね、その頃からの久富くんのファンの方が沢山来てくれて、そしてあの頃の私を知っていると言う方も数人いて、非常に懐かしい時間になりました。
と、言っても私はほとんどその頃の記憶ってないですが。。。
そう、だって35年くらい前の話だもの!(◎_◎;)

時間が過ぎるスピードは恐ろしく早い。
先の事を考えるのはとても不安になるから、考えないようにしてる。
かと言って、昔の事ばかりを考えるって事でもなくて。
それでも、懐かしいことに出会ったら、それはそれで楽しくなる。
あの頃はあの頃で、悩んでばかりいたんだけど、今ではそれさえも懐かしい^^

大分の頃、サークル仲間だった富田くんが「プロになる」って東京へ行った。
「毎年受けてるビクターのコンテストの応募用紙、今年も取り寄せたけどお前が受けろ」って言った。
私はその大会で全国大会に行って中野サンプラザで歌をうたった。
でも東京で富田くんとは会えなかった。
それから宮崎から戻った三吉さんが一年程私の後ろでサポートギターを弾いてくれていて、
ある日仕事場に電話がかかった。
「今、大分空港におるんや。これから東京に行く」と言った。
「身体に気をつけて、頑張って」と言おうとしたけど、声にならなかった。
私はいつもおいてけぼり。

「もっと歌がうたえたら」と思って、福岡に出た。
んで、知り合った久富くんも自信いっぱいで「プロになる」って東京へ出ると言う。
自信のない私はまたおいてけぼり。

ライブが終わって、皆さん帰っていって、
久富くんと話してたらそんな事思い出した。
あの頃は「プロになる」なんて自信もなくて、ただ歌えたらいいって程だった。
そしていつだって「またひとり」みたいな思いで寂しかったけど。。。
気がついたら、三吉さんは東京のライブの時に顔だしてくれるし、
久富くんとは福岡の地で一緒にライブ出来たし。

寂しくて泣いた夜もいっぱいだったけど、
今はね、みんな逢いに来てくれて嬉しい時間を過ごしてる。
それはそれで、なかなかいい人生なんじゃない?って思ったりした夜でした。

稲美邸

しまったなぁ、またこんなにブログを書いてない(>_<)

5月の高知、初めての「未来仙人」の企画、津山から恵美さんが同行してくれてそれは楽しい高知になった事。
「原口純子が高知に来るから人を集めるんじゃなくて、これからは僕たちが原口純子を高知に呼ぶから」って言葉が嬉しかった。そして新しいお店に50人からの人を集めてくれて、「次の高知は私のお店でも」って言ってもらって、11月には高知と土佐とでライブを決めてくれた。
翌日は恵美さんの希望で植物園見学の後、ひろめ市場でお昼から鰹のタタキ^^
「未来仙人」が集まってくれた。

6月の北海道は、今年は井戸さんのmailから始まった。
「6月21日に手術になりました。出来るならその前にツアー組んでもらって純子さんの歌を聴いてから手術に望みたいです」って。
それで14日に札幌のライブを入れて、翌日は井戸さんから「手術前にメロンの食べ放題とウニ丼を食べておきたいのでどちらかご一緒しませんか?」って究極の選択を迫られた。笑
結果、積丹までドライブしてウニ丼をご馳走になりました♪

苫小牧では、千葉さんや種さんに、
旭川では「北斗」の店舗の2階にお泊まりさせてもらい、
釧路では「SLO兎」のママに、
中標津では、千恵美ちゃんと英さんに、本当にお世話になりました。
帯広では、まぁちゃんがいつもの「北の屋台おかげさん」に連れてってくれた。
「おかげさん」のママとマスターは7人程しか入らない屋台にギター抱えて現れる私たちに嫌な顔するどころか、メチャメチャ歓迎してくれて、親戚の家に来たみたいにいつも落ち着く。
でもね、来年の3月で辞めちゃう、って。。。
「えー、私の帯広の夜の楽しみがなくなるぅ」って言うと、
「違うのよ、今度からは私たちが純子さんのライブに行けるようになるの」ってママが言った。

そしてブルースマン「朝日堂」の良ちゃんにお寿司をご馳走になって。。。
あ、良ちゃんね!
お寿司を食べて「朝日堂」に戻っていつものようにアメリカンドーナツを頂いてたら、
「純子さん、悪い。今夜のライブは行けなくなってな。チケットだけ買わせてもらうわ」って言うんで、
「良ちゃん、大丈夫。来れないのにいいから。今度の時にまたお願いします」って私が言うと、
良ちゃんは、引き出しを開けて分厚い封筒を取り出した。
「この中には今まで行ったコンサートのチケットが全部入ってる」って言うの。
「俺が死んだら棺桶の中にこの封筒を一緒に入れてくれってカミサンに言ってるのさ。そしたらあっちに行っても優先してみんなに逢いに行けそうな気がしてな。ティナ・ターナーもポールマッカートニーもクラプトンもストーンズも入ってんだ。その中に純子さんのチケットも入れておかなきゃなんねんだ」って言った。
「でもまず逢いたいのはジョンとマリリンモンローなんだわ」って笑った。
良ちゃんは粋でとてもカッコいい。

北海道から戻って、関西を回った。
去年の春、ホテルに迎えに来てくれた隊長が「純子さん、もうちょっと待ってな。純子さんにゆっくりしてもらえるところを作るさかい」って。
で、昨年12月稲美にライブハウス「K.county」を作って、そして「2階は自由につこうてな」って。
「これからはここを拠点にいろいろ回ったらいい」って言ってくれる。
阪九フェリーが朝の7時に神戸六甲アイランドに着いて、港では隊長が待っててくれて稲美へ。
翌日は京都へ、日曜日は京都の宿に朝9:30にどっすんがお迎えに来てくれて、姫路まで。
姫路のキャンプ場での雨のバンボストックが終わり夜にどっすんが稲美邸に連れて帰ってくれて、そのまま一週間。
毎日のように恭子や門積さんや櫻井さんが来てくれて、木曜はよっしーとキャンちゃんと温泉に行った。
「K.county」のライブ前日は、青木夫妻が魚の棚で立派な鯛を2匹用意してくれて、うっちーが四国のじいちゃんが作った漁師めしと言うのを作ってくれた。
鯛を焼いて身をすり潰して味噌と和えて水で解いたのをご飯にかけると言う。
みんな最初は「お刺身で食べた〜い」とか言ってたのに、それがまた美味しくて。。。
「さつま」と言う漁師めしだそうです。

水曜日の午後3時に櫻井さんが来て6時過ぎまでギターの話をして、入れ違いで崎谷さんが来た。
「そうそう、21日には純子さんに弾いてほしいギターを持っていきます」とfacebookに書き込みがあって、Martinを抱えて来た。
「純子さん、弾いてください」って手渡してくれて、少し爪弾いて「いい音ですね」って崎谷さんに返すと、「純子さん、弾いてください」ってまた渡された。
「純子さんのイメージやと思うギターやから使うてもらえたらと思って」と言われて、
私はもうビックリしてドキドキして。。。
Martin00-18V、1945年のモデルのヴィンテージ。

なんかね〜、朝まで寝れんかったの。
どうせ眠れないならと、B25と00-18とを弾いてみたり。。。
そしたら曲が出来た。
沸いてくる詞に、いろんな事を思い出して涙が出て、なかなか先に進めない。
きつかった事いっぱいあったけど、どうにか歩いて来れて良かったなって。
あの頃は、食べれなくて眠れなくて死にそうだったなって。。。

そして、
私が隊長と出逢ったのは神戸の小さな楽器屋さんだった。。。
そんな事が頭の中ぐるぐると。。。
そんな夜。

「稲美邸」
誰かがそこにいても心かよわない
うまく笑うこともむづかしくて
そんな夜は「死にたい」と言った君を
思い出してはまた眠れない

そんな事はないよ
そんなはずはないよ
そんな事ばかりじゃないよ
そう今夜叫ぶ

眠れない程の幸せな夜が
来ることなんて あの頃は
眠れない夜の辛い日々を
思い出しながら 泣いている