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北の町からの便り♪

札幌のmmちゃんのFacebookの投稿を見つけた^ ^
私の「星屑のワルツ」を歌ってくれていて、
さすがに出来上がる前から歌本のご予約を頂くだけあって完コピです♪( ´▽`)

そしてね、
こんなに書いてくれてます。



原口純子さんの「星屑のワルツ」を歌ってみました。
最後の方はヘロヘロでハーモニクスも上手くいかなかったわ〜。
純子さん、離れていても応援してるからね♪


私ね、もう随分皆さんと逢えないままです。
世の中は、大切な人ほど距離を取りましょう、と言います。
随分長い間、大切な人達と逢えないでいます。

きっともう忘れられてるかな?
なんて、寂しい思いが込み上げてくる事もあるの。

mmちゃん、
嬉しかったです。

ありがとう。

まさみちさん

一昨日の日曜日、Facebookでまさみちさんの投稿を見つけた。
髪を切って、津久見のライブに出向いてサポートしている模様です。

今は、福岡に居るまさみちさんです。
悩んだ。
無理はさせないべきか?
いや、彼は今演奏する事が彼の原動力となっているんだと思う。
演奏する時間を重ねて、元気になっていくような…
そんな気がして…
勇気を出して、彼のFacebookに書き込みをした。

「まさみちさん^ ^
津久見で演奏したんですね?
お疲れ様♪
私5/1土曜日福岡でライブです。
良かったらピアニカ持って来ませんか〜^ ^」

すると今朝方まさみちさんからメッセージ。

「おはようございます
5月1日ライブ
場所、時間は?」

来てもらえそうです!
良かった^ ^
1曲でも、2曲でも、3曲でも。。。笑
彼に無理のない程度でサポートをお願いしてみよう。
福岡の何処に居るんだろ?
運転は苦手です。
いつもなら福岡のライブの時は、yotaりんが送り迎えで来てくれるんだけど、今は腰を悪くしてリハビリ中です。
恐らく車の運転は出来ないだろうな。涙
なので、私がお迎えに行って、ライブ後に家までお連れしようかな?
わぁ〜、それも心配(>_<)
と、頭の中グルグルです。

チープサイド、
しっかり歌えるかわからない。。。
なんて、言ってる場合じゃなくなった。

しっかりしなきゃ。。。


福岡ライブ

年の初めに、お世話になっているお店に歌本とCDを送った際、チープサイドのマスターからお礼の電話を頂き「純子さん、5月に38周年記念のライブをやるんですが是非お願い出来ませんか」と言ってもらった。
今週土曜日に久し振り福岡でのライブが決まってます。

問題は、
その昔カナディアンでkimiさんに「彼はなかなか凄いんで!」と出会いを頂いた曽我ちゃんから一昨年チープサイドを紹介してもらい、その年2019年に曽我ちゃんと2度ライブをした際「純ちゃんと曽我くんが歌うにぃ、来んわけにはいかんやろ〜!」と大分からkimiさんがその度に足を運んでくれていた。
「だってな、曽我ちゃんから純ちゃんとライブです、って葉書が来るんよ。来ないけんやろ?純ちゃんからは葉書、ないけど」って笑うから、
「kimiさんに葉書とか出したら必ず来るのわかっちょんから、よ〜送らんわぁ〜」って応えた。笑
リハが始まると客席から「純ちゃん、今日は足置きはいらんの?」と言う。
PA席でマスターが「足置きが無いんです」と言うと、
「車にあるわぁ」と外に出た。
「純ちゃん、いつも足置きがあれば欲しいって言うやろ〜」と言いながら店に戻って来て、マスターが「彼は何者ですか?」と聞いた。笑

ライブ中、MCやってると客席がざわつく。
kimiさんが自慢げに、私の20才頃の写真を皆さんに見せている!
「もぉ、そーゆうの辞めて欲しいわぁ」と思わず言った。笑


またまた、
チープサイドとなると。。。
kimiさんの思い出が溢れてしまうに決まってる。
どれだけしっかり歌えるか?
わからないけど、、、

頑張らなきゃと思っています。


月命日

「17日は、何処か泊まるところ決まってるんですか?
良かったら、グーグーペコにお迎えに行くので 泊まりますか?
18日に予定が有りますか?」
とまゆさんからLINEが届く。

まゆさんに、18日はホルトホールで集合は朝9時な事と出演者も多く一日がかりのイベントなので17日と18日は知り合いにホテルを取って貰ってる事を返事した。

「月曜日でも...
ゆっくり 帰るので良ければ 寄って下さい。
きみさんの納骨 しばらく待ってもらうようにしました。
まだ...
納得できないだろうけど...
もう少し そばにいてほしいので...
涙が
何かに付けて出ます」
と、まゆさんから届く。

月曜日、朝9時に向かいの部屋の弘田さんから、
「おはよー☀もうすぐ出ますよ~」とLINEが届き、駐車場にお見送りに出た。
「今度は高知でな^^」って言ってもらう。
昨年の4月終わりに決まっていた高知が延期になっていて、そのままです。

その後は10時にまゆさんがホテルにお迎えに来てくれて、また山元邸に戻りました。
今日は19日、kimiさんの月命日です。
kimiさんに「ただいま」を言って、その後はまゆさんが連絡のわからない人だとかをチェックしていったり、
倉庫の片付けに録さんとコーゾーさんが来て、タケさんが作ったkimiさんが歌ってる秘蔵のCDを4人で聴いた。
オリジナルや替え歌ばかりの中に1曲だけkimiさんが好きだったふきのとうの歌をうたっていて。。。
それが「運命河」なんです。涙

♪この世は意地悪で ふたり好きなのに
君をひとり残して 橋を渡って
手を振る君の眼は これが最後と
こぼれる涙を ぬぐうこともせず・・・

kimiさん、なんでこの歌なん(>_<)
そう思って、また涙が出る。


そうそう。。。
娘のふみちゃんが、お母さんの誕生日にルンバをプレゼントしたくて、
kimiさんに相談して半分こづつ出し合って注文していたルンバが今日届いたんです!
「今世紀最大の瞬間や~」ってふみちゃんが言って、3人で箱を開けて説明書を見て、早速ルンバがお掃除を始めた^^
ふみちゃんと私は、ルンバを追いかけて動画を録った。笑

夜は、「仕事を明るいうちにあがらせてもらった~」と言って智ちゃんがお花を持って来てくれる。
夜遅くまで、私たちはkimiさんの話をした。
今日は狭間に戻って来れて、良かったの。
kimiさんの月命日を一緒に過ごさせてもらってね・・・。
嬉しかったです。

ありがとうございました。






大分のステージ

「kimiさんを偲ぶ会」の後は、
今年の初めに、kimiさんからの電話で決めて貰っていたグーペコのライブと、
翌日はジーグの吉川さん主催の「大分歌い人列伝」のイベントでした。

グーペコの録さんにも、吉川さんにも、
「ごめんなさい。コロナの事もありますが私は山元さんの事があり、今回はライブの宣伝も全く出来てなくて申し訳ないです」と連絡をした。
録さんからは「こんな時に来て頂けるだけでも有り難いですね」とお返事を頂き、
吉川さんからは「このような時もありますよ」って返事を貰っていた。

「グーペコには自転車で来れるんや^^」と言って今夜もミケとあけみちゃんが、
「明日も行きますよ」と石松さんが、昼間も居てくれたすーさん、智ちゃんも甲斐先生の奥さまと一緒に来てくれて、グーペコの常連さんの吉田ひろし君と夢来のやっちゃんのお兄ちゃんの兵頭さん。
「前回はPAで入っていたんで今日はゆっくり歌が聞きたくて」とカウンターにコーゾーさん。
それからね、もう25年前になるんだけど、カナディアンのライブでkimiさんが私とタケさんと兵庫からの「松濱正樹」くんて方とのジョイントライブを企画してくれた事があって・・・
その松濱くんが昨日グーペコでライブだったそうで、本日はお客様で居てくれた^^
そうね、何ひとつ取ってもkimiさんのことばかり思い出される。

今夜は高知から大好きな竹内敬さんと一緒だし、弘田さんも居てくれる。
敬さんが「原口、今日はセピア歌う?俺が歌ってもいいか?」と言って、なんと今夜は敬さんがセピアを歌ってくれた。
敬さんのステージが終わるまで、頭の中はkimiさんの事ばかりで涙してたけど、
本番はそうもいかない。
昼間もグチャグチャだったし、頑張らないと!

アンコールが来て、初めてkimiさんの名前を口にした。
胸が詰まって、言葉にならない。
kimiさん、いつも入り口近くの受け付けのテーブルに座ってニコニコと歌を聴いてくれていた。
今夜もそこに居てくれてますか??
kimiさん、kimiさん・・・


翌日のホルトホール、控室でキョウメイさんが「純子さん、今日もkimiさんの歌うたおうと思います」って言うから、
「キョウメイさん、是非歌ってね。私も聴きたいです」と言うと、
昨日歌ったペケさんの「ラブソング」はkimiさんの大好きだった駄洒落だったと話す。
「君がいてくれたらって 歌えるよ」って歌詞なんだけど、「君」と「kimi」をかけたんや〜、って♪
お洒落さんですね、キョウメイさん^^

「僕は体調が悪く来月から福岡に転院する予定です。
まだまだ音楽やりたい。
4月大分ホルトホール、元気になって参加します。頑張ります!」って1月に高妻さんからmailが届いていた。
「福岡は近いのに、このご時世お見舞いにも行けなくてごめんね。
4月のホルトホールは楽しみにしています。まさみちさん、その時は1曲サポートお願いします^^」と返事を送っていた。

「ホルトホール、何をやりますか?」と連絡が来たのは10日前で、
「Aのワルツにしようかと?リハで合わせる程度で大丈夫ですよね?」と送ると、
「了解です♫大丈夫です」と返事を貰っていた。

「高妻さん、到着です!」って福ちゃんに連れられて楽屋に挨拶に来た高妻さんを見て愕然とした。
そんなに悪いだなんて・・・思ってなかったから。。。
あんまり驚いた私に気がついてか、福ちゃんが「高妻、ちゃんとピアニカ吹けるわぁ、純ちゃん心配いらんけん」ってそっと囁いた。
福ちゃん、ありがとう。
私ね、まさみちさんがしっかりサポート出来るかなんて、全然心配してなかったの。
ただ、ただ、驚いてしまって、言葉も出なくて。。。

持ち時間は20分、私は3曲歌うつもりでいた。
2曲目にまさみちさんを呼び入れた。
ステージで、kimiさんの名前を口にすると涙が出そうで、kimiさんの事は話せなかった。
そして、隣でいつものようにサポートしてくれるまさみちさんに、今にも泣きだしそうなのを懸命にこらえた。
凄いね、まさみちさん。
貴方の音楽に対する生き様を、胸に刻みます。
圧倒のステージ。
私は貴方と出会えて本当に良かったです。
そんな事を思いながら歌った。

20分のステージ、精一杯過ぎて記憶がない。
ただ、ギターも歌も間違えてやり直したのを覚えている。
やり直したのに、ちゃんとやれなくて・・・
そんな事だけ覚えている。

ステージを下りて、ステージ袖に車椅子に腰掛けたまさみちさんに、
「素敵なステージやったよ」と声をかけた。
「ちゃんと出来んかった」と掠れた声で、あのいつでも自信一杯だったまさみちさんが言う。
「元気になってまたのホルトホールの時も一緒に頼むね」と言うと、
「わかった。・・・ありがとう」とまさみちさんが頷いた。
吉川さんが来て、「高妻くん、ありがとう。よく頑張ってくれたな~」と泣いた。

楽屋に戻ると、キョウメイさんが「純子さん、kimiさんを思い出したわぁ。悪り~わ」とぼろぼろと泣いている。
私、ずっと我慢してたのに・・・もう決壊が崩れてしまう。
敬さんと弘田さんも戻って来て「純ちゃん、よく頑張ったなぁ」って言ってくれた。

私ね、ホントに頑張った。
kimiさん、見ててくれた?

kimiさんを偲ぶ会

ブログを読んでくれたのかな?
今朝、下田の順ちゃんから着物の生地でギブソンを抱えた可愛いテディーベアーが届いた。
ご心配をおかけして、本当に申し訳ないです。
多くを語らずの順ちゃんに「癒されます、ありがとう」と送った。
今ね、私のそばにテディーベアー居てくれてます^^


kimiさんを偲ぶ会に合わせて、皆さんにkimiさんの事を時々思い出して欲しいから、
来てくれる方に何かしら作ってお配りしたいと思った。
以前カナディアンの記念ライブの時に刺繍入りのギタークロスをkimiさんが作って皆んなに配った事があって。。。
でね、ネットを検索していたら好きな文字を入れて作ってくれるピックを見つけた。
まゆさんに相談すると「ト音記号入れたいです」とか「きみさんは、このフォントが好きでした」と名刺の写メが届いてね、そして肝心の文字は「裏方愛」にしようか?「裏方魂」にしようか?とまゆさんとやり取りを重ねた。

そして、4/17(土)の13:00〜「kimiさんを偲ぶ会」が決まりました。
協力者のGONちゃんが、シフトが変われずどうしても17日に来れないと言うので、私は16日夕方に山元邸入りしてGONちゃんには16日の夜に歌ってもらう事になった。
翌17日、午前から何かとお手伝いにって、のりさんと娘さんのきぃちゃんとしぃちゃん、智ちゃんとセイコーさんご夫妻が駆けつけてくれた。
そして、このような時期なのに、本当に沢山の方々がkimiさんに逢いに、歌を届けに来てくれました。
私たちのわがままにお付き合いくださり、心よりお礼申し上げます。

13:00になりまずはセイコーさんがkimiさんに語りながら歌をうたった。
次に歌ったキョウメイさんは「きみさんの歌」って曲を書いて歌ってくれた。
2曲目はペケさんの「ラブソング」を歌ってね。
「ラブソング」はkimiさんも私も好きな歌だった。
あの頃はカナディアンでよくかさぎひかるさんが歌ってたな^^
それから高橋くん、コーゾーさん、よしぴーさんと続いて、私は「掌」を歌った。
コーゾーさんが即興で「kimiさんの歌」をうたい、
「kimiさ〜ん、kimiさ〜ん」って歌うから、また涙が止まらない。

あの夜、きぃちゃんがkimiさんの書き込みを見つけて送ってくれたお陰で、
それからまゆさんがこのような会をやりたいと言ってくれたお陰で、私はkimiさんに「掌」を歌う事が出来た。
本当に皆さんに感謝です。
とは言いながら、きぃちゃんが送ってくれたkimiさんの投稿にあった歌詞を大きくプリントして、40年振りに歌う曲なのでしっかりと、と思っていたのに。。。
やっぱり涙ばかりでちゃんとは歌えなかった。

17日にどうしても行けない、と曽我ちゃんからmailをもらったり、
長崎のあーさんから「僕が歌うふきのとうを送るので、よかったら流してください」と音源が届いて、
上海のモリシゲさんからも「博堂村のライブの時の事をうたった歌を」と音源が届いていた。
そうでした。
あの日も、モリシゲさんと金沢でライブをして飛行機で福岡空港に着いたところに、kimiさんが大分からお迎えに来てくれたんだった。
私たちを別府博堂村まで運んでくれて、kimiさんはそのままお客さんで居てくれた。

「kimiさんを偲ぶ会」はその後もどんどんと続いて、
タケさん、西野くんが歌ってみっちゃんもキーボードを持ち込んで演奏してくれた。
大阪からは「こんな時期に申し訳ない」と言いながらハイライトさんが来て歌ってくれた。
「僕がkimiさんと初めて会ったのは、純ちゃんの京都のライブの時やったね。京都いちなんの時」と言う。
そうやった。kimiさん、京都のライブにも来てくれたんだった。
いろんな思いが巡り、ゆっくりとゆっくりと懐かしい時間が流れた。

まゆさんからも先ほど、
「皆さんに 沢山の歌を頂き とても素晴らしい 時間でした」
とLINEが届きました。

本当に、ありがとうございました。


2020.10.23facebook

kimiさんが亡くなった知らせが届いた日、グーペコの録さんからメッセが届いた。

「今日は1日中泣いてます😭
でもしないといけない事もあるし・・
結構 参ってます😣

ところで 4/17のライブですが
OA等はっきりした事は退院したら1番に話に来るからと・・
公さんと2月の末にgoo pecoで話をしてたんですが・・
どんなふうになっているでしょうか?
当然 僕が出来る事は何でもしますから
(どれだけ公さんの代わりが出来るか分かりませんが)
何でも言いつけて下さい。🙇‍♂️ 」

私も参っていたし、グーペコもホルトホールもちゃんと歌う自信はなくて。
録さんに「敬さんがゲストで大丈夫になっています。でも私は歌う自信がないです」と返事をした。

葬儀の日、のりさんが「kimiさん、あんなに歌が好きだったのに、誰かギター持って来て歌うなんて出来んものやったかな?」と言った。
「親戚の方とかいたしね」って返事をしたけど。。。
私自身、kimiさんのお葬式で歌をうたうなんて全く思い浮かばなかった。
それどころか、歌う気力なんて、、、なかった。

kimiさんの葬儀が終わり糸島に戻ってしばらくして、
「夜遅くにすみません。
この歌知ってますか...???」
と、のりさんの娘さんで、kimiさんが自分の娘みたいに可愛がっていたきぃちゃんから届いた。

それは昨年の10月23日のkimiさんのfacebookの書き込みだった。

「本日、この歌を昔歌っていた方のお誕生日です(笑)(^^ゞ
おめでとうございます(o^O^o)
これからもずーと歌い続けて下さいね(o^O^o)
それから、私のお葬式の時、一曲お願いいたします(爆)m(__)m 」

とあり、その下に私が10代の頃にジプシーの占い師をイメージして書いた「掌(てのひら)」の歌詞が書いてあった。

昨年「純ちゃん、今度掌が聴きて〜わぁ」とkimiさんに言われた。
「嘘やろ〜!私もう歌詞もわからんわ」と言うと、その後歌詞が送られて来た。笑
それでも11月のライブの時に「掌」を歌う自信はなくてね。
やっぱり帰りに「純ちゃん、掌聴きてかったわぁ」とkimiさんが言った。

のりさん、お葬式で歌をうたわないといけなかったのは私だったのかも?
そう思って、何度も何度も読み返して泣いた。
kimiさん、昨年の10月はまだ手術の話もない頃なのに、どうしてお葬式なん???
そして、グーペコもホルトホールも辞退しようと思っていたのに、
「これからもずーと歌い続けて下さいね(o^O^o)」の文字が辛い。

まゆさんからmailが届く。
「確か4月17日はLIVEでしたね。良ければ...我が家に是非是非泊まりに来てほしいのです。
で、皆んなにきみさんに会いに来てもらいたいなと思うのです。」

それで、のりさんとセイコーさんとGONちゃんに相談をして、
kimiさん家に皆さんに会いに来てもらい、歌ってもらい。。。そんな会をやろうって事になった。

「歌う自信はない」なんて。。。
言ってる場合じゃなくなった。
私は駆けつけて「掌」を歌わなきゃ。。。


kimiさん

1ヶ月が経ちました。
私は一昨日糸島に戻り、さすがにその日は疲れ過ぎて眠れなかったものだから、夕べは早い時間から横になって久し振りにしっかり睡眠を取りました。
それで今朝は早起きで、このひと月の事を記そうとパソコンに向かってます。

「純ちゃん、今度の手術は10時間以上かかるんや。その間心臓も止めるそうでな、メチャメチャこえ〜(恐い)んよ」
って電話があったのは今年に入ってです。
何度か大きな手術をしてるし、大きなケガもして来た人だし、私は何の心配もしてなかったの。
しかもその電話は、kimiさんが私の大分のライブの話をしたくてかかって来たんだったし。笑
「手術いつなん?」って聞くと3月10日と言う。
でもって、4月18日の「ホルトホール大分」の前日にグーペコで歌ってよって電話だった。
「そんな大きな手術の後だから今回はやめとこうよ」って言う私に、
「な〜ん、退院してひと月で!その頃は元気になって送り迎えも出来るけん」ってkimiさんが言った。

3月9日手術前の最後の食事です、といって写真が送られて来た。
3月10日「kimiさん、いよいよやね。頑張って!」とmailを送ると、
「ありがとうございます。9時スタートです。すでに点滴に繋がっています(^ ^ゞ」って。。。
これがkimiさんとの最後のやり取りになった。涙

3月17日術後のkimiさんからはまだ何も連絡はなく、奥さんのまゆさんも忙しいだろうから、
kimiさん家族ととても親しくしてるのりさんに「何かとお知らせくださいませ^^」と送った。
「kimiさんまだICUで、まずは一般病棟に移れるほど復活してもらわないと♪(*^ω^*)」って返事が届いた。
そして20日7:31にのりさんからメッセージが届く。

「おはようございます
急ですが 公さん昨夜 亡くなりました
術後 肺血腫おこしてました」

その後の事ははっきりと覚えていない。
恐らく「のりさん、なんで?なんで?」って電話したかな?
二人で言葉もなく泣いた、かな?
膝を悪くして入院中なのも知っていたのにyotaりんに電話をした。
きっと泣いて泣いて、何て言ってるのかもわからなかったと思う。
私も何を話したかは思い出せない。
その日娘の引っ越しの手伝いで長崎にいた私は、直ぐに一旦糸島に戻り身支度をして大分に向かった。

何でもいいから手伝わせて欲しかった。
そして今にも目を覚ましそうに眠るkimiさんのそばに居たかった。
「純子さん、夜どうする?」とまゆさんが聞いた。
駅前のホテルを取っていて、最終の電車まで居させてもらっていいかな?と聞くと、
「斎場に泊まれるんよ。一緒におってもらえん?」ってまゆさんが言ってくれて、その夜はまゆさんと娘のふみちゃんと一緒にkimiさんのそばに居させてもらった。
そして「良かったら明日火葬場も行って収骨、一緒にしてもらえん?」ってまゆさんが言ってくれた。
まゆさんに「身内みたいに居させてもらってありがとう」って言うと、
「なん言よんの、身内やん!」って。

私が学生の頃、いつしか現れたkimiさんです。
その頃あったサークルは学生ばかりで、卒業して県外の大学に行ったり、社会人になるとみんな辞めていて、
そんな中「卒業しても歌える場所を」と「別府フォーク村」を立ち上げてくれて、私はそこに誘われた。
村長のkimiさんは、小さな会場を借りてコンサートをやったり「ここで歌わせてもらえませんか?」と方々のお店を回り続け、ついに「カナディアン」のママさんに「迷惑かけんのやったらいいよ」って言ってもらってね^^
毎週週末の「カナディアンライブ」が始まった。

20才過ぎて「博多に出ようと思う」と相談した時は、「ウチにトラックがあるけん、引っ越しの手伝い出来るで!」ってkimiさんが言って、朝から実家の荷物を積み込んで二人で博多に移動した。
しばらくは博多よりも、大分や別府で歌う事が多かったの。
ギャラなどはなく、その頃は実家もあったのにkimiさんは必ず家に泊まらせてくれた。

30才過ぎた頃かな?
2年程歌ってない事があって「もうね、歌わなくてもいいな」なんて思っていた時は、毎日のようにkimiさんから電話があった。
「純ちゃんは歌わなわり〜(悪い)人なんで!」と何度も何度も言ってくれた。

40才過ぎてアルバイトを辞めて、これからは歌だけでやっていくと決めた時も、
「純ちゃんはプロやけんな」って大分に呼んでくれて一番にギャラをくれたのもkimiさんだった。
大分、別府のライブは自分の企画でも、受け付けをしながらライブチャージを出すkimiさんに、
「kimiさんはチャージは(支払わなくて)いいやろ〜」って言うと、
「オレが一番聴きて〜んや^^」って言った。

kimiさんの話をしたら、きりがないね。
沢山あり過ぎる。

去年の11月のグーペコの時、kimiさんが運転しながら言った言葉。
「純ちゃんは『音楽の神様』が付いちょん(付いてる)ってオレ昔からわかっちょったで!
でも、ロマンスの神様は付いてなかったなぁ〜」って笑った。

いつだって褒めてくれた。
いつだって力になってくれた。
そんな大切な人を失くしました。