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「LIVE SCHDLE」

HPのトップ画面の「蔵出し歌集購入可能店舗一覧」なるものを、そろそろ書き直さなきゃいけないと思いながらパソコンを開くと「LIVE SCHDLE」が目に止まる。
そうそう、1月に決まった「グーペコ」を載せなきゃ、と本当に久し振りにログイン画面にパスワード入れる。
しかし・・・開かない(>_<)
何度、入力しても・・・開かない。

「パスワードを忘れた方」なんかを押してみて色々調べてみると、
あまりにログインしてなかったからか?
「再設定」しないといけないんだって〜!(◎_◎;)

そうね、
HPを始めて以来、半年以上更新しなかった事なんてなかった。

ライブに追われて、アンケートの整理、ライブのお礼とライブのお知らせのmail、そんな中HPの「LIVE SCHDLE」の更新したのが間違ってるってよく連絡を頂いて訂正してました💦

日々時間に追われて、あんなバタバタの毎日だったのに・・・

やっぱり、定期的にライブをやって「LIVE SCHDLE」の更新もやらなきゃ、
パスワードどころか更新の仕方も忘れちゃうよ。涙





声・・・その弐

kimiさんからの声が届いた気がした。

「こんばんは
じゅんこさん
今から電話していいですか?」
と昨夜、kimiさんの奥さん、真由さんからLINEです。

kimiさんは、亡くなる前に博堂村の大塚郷さんと会った時に、
「純ちゃんのライブをまた博堂村でやって欲しいって郷さん、言いいよったよ。今はライヴ担当は久門さんって人なんで、その人と話をつけて欲しいらしい。純ちゃん、別府でライブやってないやろ?別府でも歌わんと!俺、近い内行ってくるわ」と連絡をくれていた。
確かに、博堂ママが亡くなってから「博堂村」ではライブはやっていない。
だって、ママから「純子さ〜ん、今度いつ来てくれるぅ?」っていつも電話があって、その電話がもう今はないから。。。

真由さんは、kimiさんがやってる音楽の場には全く出てこない奥さんだった。
だからと言って「貴方は勝手にどうぞ」なんて感じでは全くなく、kimiさんが私をライブの後は家に連れて帰ってくれて、車なんで飲んでないkimiさんと戻ってから飲み直しって事が多く、真由さんは「お腹空いてない?」っておつまみやご飯を用意して待ってます。それは決まって遅い時間なんです(>_<)
それなのに嫌な顔一つせず、今日あった事なんか話すkimiさんの話を聞いてるの。
理想の夫婦って感じ。。。
私にはとっても真似出来ない「尊敬の妻像」です^^

電話の内容は、
「純子さん、1月29日にグーペコが入ってるやろ?その前後28とか30とか、博堂村でライブしてもらえないかなぁ?」って。
まるで・・・kimiさんからの電話かと思った。涙

職場の関係の古い知り合いが偶然、久門さんの奥さんだったそうです。
本当に、なんと言う偶然なんでしょ!

電話を切ってから、
「kimiさんが『純ちゃん、別府を入れようえ〜』って亡くなる前に言ってくれてました。
同級生も『別府でやってくれたら嬉しい』って。
でも私、久門さん知らないし、kimiさん亡くなって、もう博堂村はないと思ってました」とLINEした。

「じゅんこさん
良かったです
googoopecoで 来年
ライブすることを書いているのを見て
kimiさんが 博堂村の久門さんに連絡しているのを、見ていたので
是非と思っていたのです。

kimiさんの思いでも あるので
何とかしたいと 思って
kimiさんだったら 絶対に別府で歌ってほしいと思っていると考えました」

と返事が届く。

kimiさんからの声が、思いが・・・届いた気がした。
なんかね、涙が出る。





今年の4月終わりに頭が痛くなって初のMRIを撮った時、同時に腰も痛くて。。。
丁度、写真展の事で家に来てたyotaりんに「頭も痛くて腰も痛い」話をすると、
「奥さんが腰が痛くてこの前病院に行ったら内臓からやったんよ」と言う。
「純子さんも一度見てもらった方がいいよ。家の奥さんもよ〜飲むんよ💦」と。

MRIとか撮ったばかりだったし、少し時間を空けて5月の終わりに整形外科に行った。
腰は内臓からとは言われなくて、骨と骨の間の軟骨が磨り減って慢性の腰痛持ちの骨をしていると言われた。
先生に「運動とかやっとるの?」と聞かれ、「軽いジョギングを毎日やってます」と言うと、
私の脹脛を触りながら「こりゃジョギングやっとる足やないよ。笑」と呆れた様子で笑う(>_<)
「兎に角走るのは良くないから歩くように」と言われて、朝のジョギングをウォーキングに変えた。
それでも、先生のあの笑いながらのナメた様子がずっと気になっていた。笑

10日程して、若い女の子と話す事があり、その子が、
「この仕事につく前に知り合いの農家の手伝いをしてて、そしたらその時みるみると脹脛が変わったんです」と言う!
なに、なに!今、その話題は私にはとっても必要よ〜、って事で色々と質問する。
「どの位で、その脹脛って変わったの?」
「2〜3ヶ月ですかねぇ〜。もうカチコチですよ」

何気に誰かが言った言葉って、私には「声」に感じる時がある。
そう、整形外科の先生からの〜ジャストなタイミングで今日出会ったお姉さんの言葉。
神様か?ご先祖様か?こんな時なんです。
私に運動が必要だって言ってる。
出来るだけウォーキングをやった方がいい。
みたいな。。。

そんなこんなで歩き始めて半年。
果たして私の脹脛は変わってるんだろうか?
自分ではわからないの(>_<)
誰か脹脛、触ってみて欲しいわぁ!爆

頑張ってもう少し歩いてみようと思います。
継続が何よりも大切、それでいて難しい(>_<)
またツアーが始まったら、そうもいかなくなるし。。。
それまでは頑張るね♪
「筋肉は一日にして成らず」って言うし。。。





歌唱体力

「つかぬ事を伺いますが、ブログのゴーストライター、続編はないのかなぁ‼︎」と連絡を頂きました。笑
先日の「ゴーストライター」はなかなか反響で、
「生まれ、育ちが感性を磨くんだろうなぁ。純子さんの歌には、お友達の言葉「キスが上手い人」的な、感性が溢れてると思います」ってmailを貰い、同級生からは「ねぇ、ねぇ、そんないい女がいたの?どうしてあの頃紹介してくんなかったの?」って電話があった。笑

ごめんなさい、残念ながら続きは予定してございません。
また何か思い出したら、続き・・・書きますね^^

ところで、来年の1月29日(土)に大分の「Cafe goo goo peco」が決まり、
先日からオファーを頂いていた糸島の「カンドレ」を、大分の前1月22日の土曜日に決めてもらいました。
毎日1時間程ギターを弾いて声を目一杯出してますが・・・なかなか思うように出なくてね。涙
なんか、不安で堪らない(>_<)

昨夜の歌番組に、桑田さんが出ていて、
「1年以上人前で歌っていないと『歌唱体力』みたいなものが落ちる」と言われてました💦
あー、かの桑田さんでさえ、そうなのだ!

頑張らなくちゃいけないなぁ〜、と思いながらも。。。
なかなか、なのです。涙




ゴーストライター

長い南九州の旅にお付き合いくださって、どうもありがとう♪
知らない名前が沢山出てくるし、私も説明下手だから・・・(>_<)
と、反省しつつ、今日の話は高校時代に戻ります。笑

高校に入学して、新しいクラスで自己紹介の時間に、
「これからギターを始めます。ギターが弾ける人は教えてください」と言った。
裕美が「私ギター弾けるよ、教えるって言うより一緒にやろう」と声をかけてくれた。
裕美は、ギターも弾けるしピアノも弾けるし、何と言っても自分で曲を書くのです!
全く初心者の私は、裕美に付いていくのがやっとだったけど、毎日毎日楽しかった。
私たちは二人組で「ロリーポップ」と名乗り、女子校でギターを弾いてる人がなかなか回りにいない事もあり、練習してコンサートにも出たいって事もあり、「別府ミュージック村」に所属した。

その頃、どう言った経緯からか記憶にはないんだけど、いつも律ちゃんが居て3人だった。
律ちゃんは、口数少なく誰よりもあか抜けて大人びていて私の憧れだった人です。
律ちゃんは9800円の革のリーガルを履いて、スヌーピーのバッグを持っていて、とにかくお洒落だった。
私は母に一生懸命にリーガルをねだった。
スヌーピーのバッグも真似た。笑
律ちゃんは制服の腰の辺りを絞って、スラッとした立ち姿も極まっていてね。
私も放課後家庭科室で腰の辺りをミシン掛けして絞った。笑
なんでも、かんでも律ちゃんの真似をした。爆

私は言葉が乏しく、曲を作る際、詩に困ると律ちゃんに投げた。
律ちゃんから戻ってくる詩は、私には書けない大人の世界で、
だから、そんな歌をうたっていた私は、周りからはとてもマセた女子高生だと思われていたに違いない。笑

律ちゃんは社会人の彼氏がいて、背の高い芸能人みたいなイケメンで塗装の仕事をしてる人だったな。
裕美が彼氏と色々あった時もオロオロするばかりで何もわからない私は、律ちゃんが支持してくれる通りに立ち回った。
あの時律ちゃんが居なかったら裕美は取り返しのつかない事になってた。
本当に、私は律ちゃんが居てくれる事に感謝した。

私が町を離れてからは、連絡を取っていなくて、どうしているのかもわからないの。
そんな律ちゃんの一番印象的な出来事は・・・
あの頃「理想のタイプ」を聞かれると、
顔がいいだとか、背が高いだとか、趣味が同じだなんてみんなして答える中、
律ちゃんは「キスが上手い人」って言った。
私はひたすらに「律ちゃん、カッコイイです!」って感動したけど・・・
それだけは、真似して言えなかった(>_<)爆





日向

まー君がみんなを送ってってくれる。
帰り際、「今度は純ちゃんの歌が聴きたい」ってヨットルマンが言った。
そうね・・・歌わなきゃ。

翌日は、甲斐君がアテンドです♪
「連れて行きたいところが沢山あるんです」って^^
「馬ヶ背遊歩道」から「日向岬」「細島灯台」とここまででもかなり歩いたのに、「大御神社」へは神社の駐車場ではなく砂浜公園の駐車場に止めて、サーファーを見ながら海岸を歩いた。
道の駅でちゃんぽんと塩プリンを食べて、浦城の港に向かう。
高速船で島浦に渡るんだけど、島浦は高速船がつく場所とフェリー乗り場が違うらしい。
高速船が着いて、ビールとノンアルを買って神社の階段で海を見ながら飲んだ。
神社にお参りをして、高台にあるお寺まで行き、高台の反対側にあるファリー乗り場まで歩いて1時間。
帰りはファリーで浦城に戻った。
とっても良いお天気で、海の色が綺麗だった。

「ヘルストピア延岡」って言う温泉で私を下ろして、甲斐君は選挙に行って車を家に置きに戻る。
で、今夜も飲みたいからって、まー君が甲斐君と私をお迎えに来てくれた^^
今夜は3人でまったり飲みました♪
「時々は泊まりに来るかも?だけど、純子さんの部屋は純子さん仕様にしておくから」と甲斐君が言って、まー君が「いつでもどうぞ^^」って言ってくれる^^
ここからの夜景は財産ですね〜!
また見に来させてね。

月曜日、今日はまー君が熊本まで送ってくれると言う。
一昨日通った高千穂の道を通って限りなく山道を走り熊本駅まで。

10日間、皆さんに遊んでもらいました。
お世話になりました。
楽しかったです♪

11月になりました。
高知から、福岡のチープサイドから、糸島のカンドレからオファー頂いてます。
大分のグーペコも決まりました。
10月は目一杯一人旅を満喫させてもらったから、そろそろ歌者に戻ります♪





日向・延岡

係長に日向のまー君の家まで送ってもらう。
まー君は、延岡の甲斐君のお友達で車椅子のテニスプレーヤーです♪
7月の終わりに甲斐君がまー君と糸島に来た時に、鹿児島にお墓参りの時は延岡に寄って欲しいと、泊まるところはあるからと言われ、まー君も「是非、是非」と言ってくれるし。笑

今年になって、まー君は日向の町や港が見下ろせる高台の団地が当たり、部屋も3部屋あってお客さんの部屋もあると言うので、思い切って今回はまー君家にお世話になる事にした^^
道中、係長が「そのまー君は本当は迷惑?なんて事はないんですか?笑」と悪戯っぽく聞く。
そうね、私は人の言葉を真っ直ぐに受け取る癖があり、そうじゃない事がわかったのは京都に行くようになってです。笑
「そこは私も考えたんですよ。でも、まー君からは『何日でも泊まって構いませんよ』ってLINE来たし・・・」と少し不安に答える。

夕方、まー君宅に着く。
窓から下には日向の町の灯りがキラキラと輝いて、見上げると満天の星空です^^
「この景色を見せたかったんです」って言って、まー君はグラタンを作って待っていてくれた。
「甲斐君からもさっき電話があって、仕事が終わったら来るかも?ですが、先に食べましょう」って♪
結局、甲斐君は明日も仕事だしって来れなくて、私は甲斐君が用意してくれてるビールを飲みながら、まー君と遅くまで話し込んでからの私の部屋です。笑

空気ベットに新しい掛け布団が用意されて、毛布がなくて今日よっしーが家のを持ってくれくれたそうです。
歯磨きやタオルやバスタオルも用意してくれてます^^
「好きに使ってくださいね〜」とまー君がリビングから叫ぶ♪

翌日は、ヨットルマンとよっしーがアテンドしてくれるって^^
甲斐君は、宮崎の延岡や高鍋、大分の佐伯なんかで私のライブの企画をやってくれて、
ヨットルマンとよっしーは、宮崎は勿論、大分や熊本、福岡まで二人で追っかけしてくれててね。
でも、コロナもあったし二人に逢うのは数年振りです。

朝はまー君家の周りを歩いた。
「御鉾ヶ浦海水浴場」や願いが叶う「クルスの海」「灯台」やらととにかく回りが観光地です!(◎_◎;)
戻ると、まー君が朝食を作って待っていてくれた。
片付けをするとヨットルマンとよっしーが参上です!
途中、温泉も行こう^^って言うからタオルやバスタオルも詰めて出発♪
「この辺りの観光地は朝、歩いたんだって?」って事で、「高千穂峡」まで足を伸ばそうって事になる^^
並んでるボートは諦めて、トロッコに乗って、高千穂神社、天岩戸神社、トロッコから見えた芸能の神様と言う荒立神社を回る。
途中ジョイフルでご飯を食べてからの門川温泉です♨️

まー君家に戻ると、甲斐君も来ていて5人でワイワイ楽しい時間!
何年か逢ってなかったけど、変わらず皆んな仲良くしていて嬉しかった^^
ヨットルマンと言えば、長く愛用してた白い車に「サインして!」って言われて名前を書いた事がある。爆
ヨットルマンが来てくれた福岡のライブの翌日、海舟さんから電話が来て、
「純ちゃん、今僕の車の前に純ちゃんのサインがある車が走りよるよ!」って。笑
「あ、それヨットルマンだぁ!海舟さん、手を振ってみて〜!」って笑った事がある^^
あの頃、ヨットルマンのヨットにもサインをした♪
延岡のライブの翌日、皆んなでヨットルマンのヨットに乗せてもらったの。
いつもただの酔っぱなヨットルマンが、ヨットを操作してる時だけはカッコよかった!笑
大きな波が来て、皆んなびしょ濡れになって、yotaりんのカメラのモニターが消え真っ黒になって・・・
ヨットを降りてyotaりんは長く辞めていた煙草を吸っていた(>_<)
夜はヨットで飲み会だった^^
おトイレに行くのに、ヨットを又越しながら陸地に行くんだけど・・・
私がヨットを又越そうとした時に、ヨットが揺れてどんどん離れていく。
私の足が開いていってもう限界になった時に「yotaりん、もうダメや」と力なく言う私に、「ダメじゃない、頑張れ!」と掛け声だけかけるyotaりんだった。笑
甲斐君が突然私の手を引っ張って抱えてくれた!
私は助かったけど・・・甲斐君の携帯がゆっくりと海に落ちていった(>_<)

そんな懐かしい話をしながら笑った。
2年前の台風で、ヨットルマンのヨットも、甲斐君のヨットも流されたそうです。
もう戻れない時間。

それでもね、
今日はヨットルマンとよっしーと一日遊んでもらって、
明日は甲斐君がお休みだから船に乗ろう!って言ってる^^
そして、今夜もこんなに楽しい。

本当に私は皆さんに感謝でいっぱいです。
ありがとう。






鹿児島から宮崎へ

吉松に向かっていると伯父さんから電話が鳴る。
「純子ぉ〜、来る時によ、ミネラールを買って来てくれ」って。
「伯父さん、ミネラールって何?」って聞くと、
「ミネラールよ、ミネラール!」と言う(>_<)

一応ネットで調べると「ミネラール」と言う肥料が出て来た(>_<)
コンビニに止めてもらい、水を3本買ってレジのお姉さんに「ミネラールってありますか?伯父さんにミネラール買って来るよう言われて」と言うと、レジのお姉さんが吹き出して「ミネラールですか?」って。笑

病院に着くと二階の窓から伯父さんが手を振って電話が鳴る。
コロナだからね、私は県外者だし面会は出来ない。
「下におる人に預けろ」って言うから、お菓子と水を職員さんに渡す。
果たして、ミネラールとは?この水の事なのか?不明のままだった。笑

父のお墓に「白波」をお供えした。
係長が「お父さんは煙草を吸われる方でしたか?」と聞く。
「ヘビースモーカーで、最後は肺がんでした」と答えると、「では一本備えませんか?」って差し出した。
私はタバコに火をつけた事がなくて、焦る(>_<)
ハッカタバコにどうにか火をつける事が出来て、お線香の隣に置く。
お父さんに煙草だなんて、考えもつかなかった。
良かったね、お父さん^^

それから係長に日向まで送ってもらう。
「日向に行くからには僕も何かしらの観光なりしたいんですよ」と言う係長でしたが、吉松から椎葉村経由の日向はただただ田舎道で、何一つ観光出来る場所はなく、係長には大変申し訳なかったのでした💦


知覧から霧島へ

知覧の前に少し枕崎を観光した。
枕崎駅、平和祈念展望台、それから生前に父が好きで飲んでいた白波の蔵に寄ってもらった。
出来たらもう一度父のお墓にお参りしたくて。。。

知覧の「武家屋敷群」
こちらがそもそも有名なんだそうです。
だから、昨日見た出水の「武家屋敷群」といろいろ比べながらの見学になって楽しかった!
知覧は、大河ドラマの「西郷どん」の撮影場所とかもあってなかなか見所が多かったです^ ^

知覧「特攻平和会館」
これから旅立つ若者達とそれを見送る「知覧のお母さん達」
みんなが日本の勝利のために、自らの希望で突撃する様が沢山書かれていて。。。
もう少し、もう少し早く戦争をやめていれば沢山の命が救われただろうに。。。
ここでは一枚も写真が撮れないままだった。

そんな中、伯父さんから電話が鳴る。
と言うか、毎日電話がかかります(>_<)
内容は、
戻って来れんか?
今度は伯父さんがバス代を出してやるからまた帰って来い。
お金持ちと再婚して幸せになれ。
従兄弟の浩一がたいそう稼いでいるらしく、お前は浩一と再婚しろ、浩一に電話をかけろ。
ま、そのような内容で毎日電話がかかってます。笑

知覧を後にして、昨夜の枕崎の居酒屋「まんぼう」の大将に聞いた「海鮮丼」の美味しいお店を目指す。
「江口蓬莱館」と言う道の駅の中の「海鮮丼」で、随分遅いお昼になった。
「吹上浜」と言う波の荒い浜で、今夜はどうするか考えていた。
国分に「京セラ」って素晴らしく大きな温泉があるホテルがあるそうで、調べてみる。
係長の喫煙の部屋がない(>_<)
すると、また伯父さんから電話が鳴る。

「純子かー、伯父さんじゃっど、今日から一週間ばかり入院することになってのぉ」と言う。
調子が悪くて病院に行くと、肺に影があると言う(>_<)
急遽、私達は霧島に戻る事にした。
明日は伯父さんの顔を見て、父のお墓を参って、日向に向かう事になった。
2000円の宿ではないけど、係長の家の近くの「さくらさくら温泉」に予約をして、当初の希望だった7年前に行った「カントリー居酒屋もんぺ」にGOです!

女将さんは私のことを覚えてくれていて、「前は娘さんとお婿さんも一緒でしたよね?」って^^
お客は私達二人。
鹿児島最後の夜を、女将さんの家庭料理と芋焼酎で締めれて最高です♪
この夜も、温泉に入れる時間に間に合わない程「カントリー居酒屋もんぺ」でゆっくりと過ごしてしまって、朝早く起きての温泉♨️でした。笑




出水から枕崎へ

私は朝も目が覚めて温泉に浸かり、7時半に待ち合わせて1階の居酒屋で朝食を食べながら今日の計画を立てた。
係長は夜に出水の町を調べたらしく、出水にも「武家屋敷群」があるみたいで、鶴が飛来してくるのが有名で丁度今来始めてるらしく、鶴の観場へも行ってみようとなる。

「武家屋敷群」は、説明してくれる方が居てなかなか素晴らしいものでしたよ〜!
空襲にも合わず、そのままの形で町が残っていて、現在「出水小学校」になってる場所は、島津さんや西郷さんが京に上る時に必ず休まれた場所らしいです。
その頃の武家屋敷は、家の半分が武士としてのお宅、半分が農家としてのお宅になっていて農家の居間から武士の部屋は段差があり私は幾度か躓いた。
そんな私を見て「まさにこれが『敷居が高い』なんですよ」って笑った。

それから、観測所から沢山の鶴を見て、いよいよ陸上競技場です!
それが来年ここで大会でもあるのか?フィールドは工事中で中には入れなかった(>_<)
それでも係長は、競技場の周りのジョギングコースを歩きたいと1〜2時間程何かと調査してました^^

「この後ですが、知覧に行ったことはありますか?特攻隊の」と係長が言う。
以前、絶対に一度は行った方がいいとは、言われていたものの・・・
ツアーの時にライブの前に行くのは怖くて、まだ足を踏み入れていない場所です。
「僕も鹿児島に住んでいる内に行っておきたいので、知覧のホテルを見てみましょうか?その後時間があれば枕崎まで足を伸ばしませんか?」と言う。
知覧の宿を調べたけど、なかなか出てこなくて「このまま枕崎まで走りませんか?枕崎ならホテルありますよ」って言うと、「原口さん、ナイスです」って!

私達は出水市を後にして、枕崎まで走ることになった。

「じゃらん」で出て来た枕崎の宿は「オーシャンビュー岩戸」で、係長は「枕崎観光ホテル岩戸」の海に落ちる夕陽や波の音のLIVE中継をよくyoutubeで見ているらしく「恐らく同じホテルでしょう!」と興奮している^^
ホテルに着いてチェックインしようとフロントに行くと、モニターが置いてあり海と夕陽が写っていた。
「彼はよくyoutubeでここのLIVEを見てるそうです」と告げると、「今です!そこの階段上がって窓の向こうに夕陽が綺麗ですよ!チェックインは後でいいので夕陽をご覧になりませんか」って言ってくれて・・・感激の絶景です!
私たちは言葉もなく、しばらくぼんやりと海に落ちる濃いオレンジに染まる夕陽を眺めていた。

枕崎と言えばカツオ!
フロントの女性にお勧めの居酒屋を聞いて30分程歩いた。
私は先日は高知で最高のカツオを食べて、今夜は枕崎でカツオです。
なんて幸せ者なんでしょ!

そして戻るとココも温泉♨️
でも、また30分ゆっくり歩いて帰ったからもう温泉の時間は終わっていて、朝に早起きして波の音を聴きながらの温泉でしたぁ〜♪