fc2ブログ

Google Photo

唄心「言葉ノオト」と表紙に書いたノートが三吉さんから届きました。
恐る恐る開いてみる。

以前ブログにも書いたけど、私は律ちゃんを相当インスパイアしてたのね?とびっくりです。
字体もかなり律ちゃんに似てるし、どう見ても私が書いた詩じゃないな?って大人びたのもあって、もしかしたら律ちゃんもこのノートに書き記してたのかも知れない。

ノートにはギッシリと誰かの言葉や歌や、そして私の歌もある。
斜め読みしてね、真剣には読んではないの。笑
ガチに恥ずかしくて、真面目には読めない(>_<)
それでも、確かに言えることは。。。
今の私にはもう書けないような言葉が沢山です。

ゆうみんがね。
失くしてく感受性を磨くためか、朝の通学時間の電車に乗って女子高生の会話を聞いてたりしてた、と昔聞いた。
さだまさしもコンサートで喋る為に落語を習ったと言う。

まだまだ勉強することは沢山あるね。
なんて思いながら、とりあえず。。。
撮りっぱなしのGoogleに溜まった写真なんかを整理し始めました(>_<)
これは・・・
かなり時間を要するわ💦
2003年からの写真がぼちぼちとあって、恐らくスマホにしたのは2013年かな?
その辺りから日を追って写真が残ってます。
昨夜は気がついたら4時までやってた( ̄O ̄;)

でもね、全然きつくないの。
「あ〜、この時は楽しかったなぁ」なんて思いながら整理してます^^
それからね、
「また逢えるかな?」なんて考えながら。。。





心が落ち着いていると言う事でしょうか?
穏やかに暮らせてるって事なのでしょうね?
と、指先を見ていつも感じます。

小さい頃から爪を噛むのが癖だった。
妹もそうだったな。
いつだって爪の先の白い部分はなく、爪は丸っこく先の腹は盛り上がった状態。
綺麗な爪には憧れるけど、気がつけば爪を噛んでた。
だからなのか?
しょっちゅう手を洗っていて、それはちょっと病的に手を洗ってた。

ギターを弾き始めて困ったのはやはり爪で、サムピックを付ける奏法もブルースマンが良くやっていてそれがカッコ良かったってのもあるけど、ハジきたいのに爪がなくてね。
その後は親指じゃない爪も必要かなってなってからは、右手の爪だけは噛まない様に心懸ける。
それがなかなかしんどくて、気がつけばなくなってる事ばかり。

飲み過ぎて翌朝気がつけば爪がなくなっていて、
「なんで止めてくれんかったん!」と泣きついた事も多々あった。笑

ギターがB25一本だけしかなくて、良く悪夢を見るってブログに書いたことあるけど。
もう一つはライブの日に爪を噛んでしまってどうしよう?って悪夢だった。
それが回避されたのは、沖縄の男の子に爪のスカルプを習ってから^^
万が一噛んでしまったら、サロンに行ってスカルプチャーやってもらえば心配ない。
爪先だけじゃなく、弦で爪が擦れて弱い私の爪は薄くなっていってて、スカルプはそれも回避出来た♪

「爪を噛んで良いのは左手だけ」
「爪を噛んで良いのは左手だけ」
いつもそう念じてた。笑


それが、5年くらい前かなぁ?
左手の爪が伸びてギターが弾きづらいってなって。。。
生まれて初めて左手の爪を爪切りで切った。
しかも少しだけ白くなった部分を残して〜^^

今ね、ギター弾こうとして、少し伸びた左手の爪を整えながら、
全く爪を噛む事がなくなってる事に、ふと気づいた。
どんなに酔っ払っても、もう爪を噛むことはない。
こんな時が来るなんて・・・ね。

人生ってやっぱりおもしろい♪



言葉ノオト

宮崎の大学生の時に宮崎代表でポプコンの九州大会に出ていた三吉さんが声をかけてきた。
「原口さん、大分代表やろ?大分の何処?」
「別府です」と答えると「えー俺も別府やん^^別府の何処?」って。
「亀川」と答えると「うそ、俺も亀川なんで!」って(笑)

話してみると同じ小学校、中学で三吉さんはひとつ年上です。
「何部やった?」と聞かれ「テニス部」と答えると、なら「片岡とか高橋とかおったやろ?」って言うの。
片岡先輩も高橋先輩もひとつ上の美人で有名だった先輩です。
「いた、いた!ひとつ上だったらテニス部の上杉さんとかと同級?」って人気のあったキャプテンの名前を出すと「おー、おった、おった!」と懐かしそう^^
そうなんです。
二人して目立った有名人はわかるのに、お互いの事は知らない同士!爆

三吉さんが別府の実家に戻って来て、しばらくの間私の後ろでギターのサポートをしてくれた。
その時に弾いてくれるメロディが素敵で、私は三吉さんが東京に出てからはひとりで三吉さんの様にコードを弾きながらメロディが弾けないものか練習をしたの。

「森山さんのバックで福岡に行くよ。純子ちゃん、会える?」ってmailをもらって、その日は私も西中洲「TUPELO」でライブだったから23時頃長浜の屋台で待ち合わせをした。
そこには森山良子さんとバックバンドの方々がいて、出来たばかりのCD「旅の途中」を三吉さんにプレゼントで持って行ってたの、三吉さんが「良子さんに渡して!」って言って、良子さんがジャケットを見て「まぁ、フォークね♪」と言った。笑
24時になって「私、今日誕生日なんです。良い誕生日を迎えられた」って三吉さんに話すと良子さんは自分の携帯のストラップを外してプレゼントしてくれた。それから「ハッピーバースディ」を歌ってくれた♪
そんな長浜の屋台での忘れられない素敵な出来事。

「純子ちゃん、天神で父の個展があるんで良かったらお手伝いお願いできる?」って連絡が来た時も、個展の準備が終わってお父さんと三吉さんと3人で居酒屋で飲んだ。
その時のお父さんのエピソードがとても面白く、なんとムツゴロウさんは小さい頃お父さんが絵を教えていて、その後の風貌は三吉さんのお父さんの真似なんだそう^^
生前お母さんがムツゴロウさんがテレビに出る度に「気持ち悪いわね」って何度も言ってたらしく、その位お父さんにそっくりだったって!笑
突然、三吉さんの携帯が鳴る。
携帯を覗いて「BOSSからだ」って外に出た。
矢沢さんはやっぱり「BOSS」って呼ばれてるんだ〜!

そんな三吉さんから今朝メッセージが届く。

「純子ちゃん、その後喉の調子はいかがですか?順調に治っていってたら良いのですが。
レコ発ツアーin九州も無事終わりました^ ^。
幸いどこも大勢のお客様が来てくださり、みんなやっぱり生音に飢えていたんだなぁ、と実感。
僕も毎晩演奏出来る喜びを噛みしめながら幸せな時を過ごしました😊

 それでツアー終了後別府の実家に帰り、しばらく温泉三昧♨️ののんびりとした日々を過ごしていたんだけど、暇にまかせてステレオの下の棚を整理してたら(多分純子ちゃんのものと思われる)「言葉ノオト」と表紙に書かれたオリジナル曲のノートが見つかりました。
多分二人で一緒にやってた頃(1980年くらい?)ウチで練習してそのまま忘れていったのかなぁ?
パラパラと開いて見ましたが(失礼!)とても懐かしかった。
もし送り先を教えてくれたら郵送しますよ☺️」

なんだそうです!笑
「言葉ノオト」
見たいやら、見たくないやらの思いですが、三吉さんところにあっても迷惑だろうし・・・
送ってもらう事にした^^





漫画本

実は、漫画や映画やドラマを見て曲が出来るって事もよくあったんです。笑

とは言え、もう中々漫画を読まなくなった昨今でしたが、
昨年辺りから娘がゲオやブックオフで借りてきた漫画を拝借して読んでます。
この頃読んだ漫画で面白かったのは、ドラマでもやってた「ミステリーと言う勿れ」
ドラマは漫画本を簡潔に上手い事端折ってましたが、漫画を読んでいたのでドラマには無い深いトコもわかって読んでて良かったの。
「幼児虐待」や「ストーカー犯罪」「いじめ」のテーマが多く、今の世の中多いんだなと考えさせられた。
特に主人公が、日本ではストーカーにあったり、いじめにあったりした人が病院で診てもらったり逃げて隠れて果てには殺されたり自殺したりするけど、アメリカのとある町では、いじめた側がカウンセリングを受ける。いじめられた方が、『あの子にいじめられたよ。病院に連れてって診てもらって』って話には頷けた。
本当にそうなるべきだと思う。
主人公は観察力が凄く、沢山の事に疑問を持って、それを口に出す。
ぼんやり型の私は大いに見習うべき所です。

もう一冊、非常に好きだったのは「コタローは1人暮らし」
これはNetflixの漫画で見たんだけど、久し振りに漫画を見て泣いてしまった。
育児放棄にあった4歳のコタローからはちょくちょくと、苦労して育ったトコが垣間見える。
それでも暗くなく、コミカルに仕上がった漫画です。
「ネグレクト」の子に多いピンポン。。。

昔ね、毎晩のように大ゲンカしていた両親で、家に居場所がなくて飛び出した夜が幾度となくあった。
行くあてもなく、公衆電話に行き電話帳の上から順に電話をかけた。
知らない人が出て「友達になってください」って言った。
冷たく切られる事が殆どだったけど。。。
そんな中「今、部屋で勉強中の息子がいますよ」ってお母さんが言って、
その時電話口に出てくれた男の子がいた。
当時は学生だったし会う事もなく、受験勉強の合間に手紙をくれたり私も手紙を書いたり、時々電話をかけた。
あの頃は、いつも元気に振舞って笑っていた私だったけど、急に電話して無駄に話をしてる時も「何かあったかい?」って、その人は言った。
よく落ち込んで辛い事も沢山なのに、いつも笑ってる自分が好きじゃなかった。
落ち込んだ自分を出せる唯一の人だった。
彼が東京の大学に行く事になり、一度だけ「大分駅」で待ち合わせをした。
ご飯でも食べたかな?あまり記憶には残ってないけど、兎に角私は一言お礼を言いたかった。
今でもね、友達なんです。笑
とても大切な友達で居てくれてます。

「ネグレクト」
そんなコタローを理解しようと、周りの大人が彼に寄り添っていてね。
お時間あれば是非見てください。
漫画も出てますよ〜^^







リンダ・ロンシュタット

クマさんからのmailで知ったリンダの映画。
調べたら5/5までの上映です。
早速KBCシネマまで行ってきた♪

私の昔の印象は、リンダは歌が上手過ぎで、カントリー、バラードから始まってロック、オペラやミュージカル、クラシックやJAZZやメキシコ民謡までこなしてたしね。
あまりの器用さに、そんなに夢中になって聴いてはいなかった。
ただ、イーグルスが「ならず者」を出した時に全くヒットしなかったのが、リンダがカバーしてヒットしたり、
無名のSSWカーラボノフの曲をヒットさせたから、世にカーラボノフが出てきたの。
お陰で私はカーラと出逢える事となったし、
歌を作って歌っている立場から、どうしてもカーラびいきになっちゃって。。。
カーラのアルバムは本当に良く聴いたなぁ^^

映画には、素敵に歳をとったカーラや大好きなボニーレイットも出ていて、
JDサウザーやイーグルスのメンバーのドンヘンリー、グレンフライ、それからライクーダーやジャクソンブラウンなど、当時よく聴いた人達が出ていてかなり見応え有り♪
でも、それよりも、アリーナツアーをこなしてミュージカルをやってたリンダが、映画のラストはリビングで甥っ子とゆったりとハモって歌っていた。
「音程がうまく取れない」と言いながら、「仲間外れにされたくない」って言って。。。
それでもね、甥っ子のギターに合わせて歌ってるリンダの姿は凛としてやっぱり素敵だった。



手術から2ヶ月。
本当にこんなでいいのかな?と思うくらい声がカスカスです。
3ヶ月して許可が出たら、高知の美香ちゃんとこでレッスン受けようかとマジで考えてます。
まだ、弘田さんには相談してはないんだけど!(◎_◎;)笑

このまま前のように声が出ないままならね。。。
その時はガンガン音程下げて、カスカスのしゃがれた声で歌うから(^_-)-☆
よろしく、ね♪








KULO15周年記念ライブ

大分中津の黒ちゃんのバンド「KULO」の15周年記念ライブが昨日ブリックブロックであった。
本当は2020年だったのがコロナで延び延びになってね。

私は、黒ちゃんの病気の事も気になっていて、是非ともこのライブには行こうと思っていたから、「15周年記念ライブが決まった時は教えて」といろんな人に声をかけてたのね。
それで今回沢山お誘い頂いたんだけど。。。
恐らく知ってる人がかなり居て、私は大人しく出来る自信がなく、泣く泣く断念しました。涙

「原口、はっちゃんのマーティン借りちょったやろ?どうやった?弾きやすかった?」と一昨年黒ちゃんから電話があった。
「もちろん弾きやすかったけど、黒ちゃん、良いマーティン持っちょんやん?またなんで?」と聞くと、
「もうドレッドノートは弾けんのや」と言う。

そんな話を聞いてしまったしね、
どーしても「KULO」の記念ライブには駆けつけたかった。
どーだったかな?
黒ちゃん、はっちゃんのマーティン買ったのかな?
ちゃんと弾けてたかな??

そんな中、昨日はクマさんからmailです。

「KBCシネマでリンダ・ロンシュタットのドキュメント映画を観てきた。

中高生の頃は彼女歌ばかり聴いてた。

パーキンソン病で
もう歌えないけど
やっぱり素敵な女性。

純ちゃんも歌い続けてな。」

黒ちゃんもパーキンソン病です。
「ちょうど今、歌ってる頃だなぁ」なんて思って。。
やっぱり行きたかったな、と思う。
私が行ったからって、何も状況が変わる訳ではないんだけど(>_<)

それからね、
今現在、術後で入院してる武藤くんからもmailが届く。

「全治1年。1年後には、軽いジョギング、遠地への旅行まで出来るところまで持って行きたいです。

 今日はブリックブロックでKULOのライブが有るそうで、長谷川さん等も裏方で行かれてるそう。

 ブリックブロックでは純子さまもライブされますね。半年かもっと先にはなるでしょうけど、行けるようにします。

 リハビリ、自主トレ、頑張ります。」
って。。。

なんかさ、私の方が励まされてるなぁ〜💦
面目ない(>_<)


黒ちゃんはね、中学生の時の文通相手なんです。
「中3コース」の「ペンパル募集」で知り合ってね(笑)
4人づつの友達でディスクジョッキーの真似事をしてた。
当時良く聴いた「オールナイトニッポン」を真似て、カセットに流行りの歌や好きな歌を紹介しながら吹き込んで送り合う。
私は仲良しだった真理ちゃんと河内と、もうひとりがどーしても思い出せない。

別府の「博堂村」にオファーを頂いて初めてライブが決まった時にホームページにmailが届いた。
「僕の友人が昔、原口純子と言う人と文通をしていて、もしかしたらご本人でしょうか?博堂村に友人と行きます」みたいな・・・

「やばいなぁ、私、中学の時中津の人と文通してた」と思い出す。笑

博堂村に中津から黒ちゃんと佐藤くんが来た。
2人とも見覚えがあって、懐かしさが溢れる。

「原口さん、元気そーやなぁ!
母からも宜しく伝えてって伝言で!」と佐藤くんが言った。
「え?私お母さんと会った事あった?」と聞くと、
「原口さん、中津に家出して来て、ウチの母親に強制送還されたやん!」と笑った!(>_<)

「いや、待って、待って!これからライブやけん、その話は後で聞くけん」と私は慌てた。笑

その日のライブは落ち着かないライブをしたんだろうなぁ、と言う記憶です(>_<)爆


それにしても、
幾度かしか会って無かった友達だとしても。
時間が経って会えば、旧友のような、また幼馴染みのような、全く警戒心なく心おきなく今は会えてね。
それは、それで有り難いものです♪