松本ケンジ氏
20年前くらいになるかなぁ?
2ヶ月に一度長崎の「ワインバー田舎」に呼んでもらってた頃、マスターの梅ちゃんが関西の「金森幸介」さんが好きで、出島ワーフのイベントや田舎でのライブで何度かご一緒させてもらっていた。
その金森さんが福岡でライブと言うので足を運んだ。
もう何処のお店だったかも記憶にない、けど。
その時にOAをされて、その金森さんのライブの企画もされていた「松本ケンジ」さんです。
その時のイメージは、ご本人も歌もなんか「細く儚い」感じがあって、私はとても好きだった。
加川良さんが好きなんだろうな、ってイメージもあった。
その頃何度かケンジさんのライブに足を運んだ記憶がある。
2019年、ちきゅう屋のライブに曽我ちゃんが来た。
同郷の彼はkimiさんがやっていた「カナディアンライブ」で私が福岡に出た後に歌っていて、「カナディアン」では被ってないけど、kimiさんの家やkimiさんがやるイベントで顔を合わせていて、私は彼のストレートな歌と声が好きだった。
彼が私のライブに来たのは、その前は別府の「博堂村」だったか?東京の「マローネ」だったか?
いつだって何処に住んでいるか不明な、神出鬼没な人なの。爆
「今は何処におると?歌ってる?ライブやってる?」と聞くと「来月チープサイドでライブ」だと言う。
「チープサイド」とは40年近くやっている、福岡では老舗のライブハウスだけども、私は縁がなく行ったことはなかった。
一人ではなかなか初めてのお店に行ったりは出来ないので。笑
yotaさんや曽我ちゃんの歌が好きなウチの娘に声をかけて、出向いた。
その時に曽我ちゃんの対バンが「松本ケンジ」さんだった。
そう、あの頃感じた「儚さ」みたいなものはなくなっていて、メッセージ性のある力強い歌に変わっていた。
その時にマスターに「ウチでライブやってください」って言われ、その後2度チープサイドで歌った。
曽我ちゃんがkimiさんに「原口純子さんのライブで僕も歌います」とハガキを書くもんだから、わざわざ大分からkimiさんは2度とも来てくれて、そして松本ケンジさんも来てカウンターの一番端に座って聴いてくれていた。
ケンジさんは目が悪いらしく、ライヴが終わるとすぐに帰ってしまう。
そして決まって「あの歌が好きだったとか、良かったとか、ステージングが」だとか、たくさん褒めてくれて長いmailが届く。
それがまた、嬉しかった。
「私も松本ケンジさんのライブに行きたいから今度誘って」と曽我ちゃんに言うと、「来年2月に東区でありますよ」って話だった。
1月からコロナで世の中が騒ぎ始めていて、その2月のライブも前日に「中止だそうです」って曽我ちゃんから連絡が入る。
「そか、残念。また誘って」と返事をした束の間、翌月3月にケンジさんの訃報が届いた。
11月に「ワインバー田舎」の梅ちゃんの訃報が届いて、
3月にケンジさん、その翌年の3月にkimiさんです。
気持ちも落ちちゃうよ。涙
3.18チープサイドで「松本ケンジさんを偲ぶ夜」に参加させてもらった。
曽我ちゃんも「チープサイド」を紹介してくれたのは松本ケンジさんだそうで、一緒だった。
その日、ケンジさんの奥さんが来ていて、少しお話をさせてもらった。
kimiさんの奥さんの真由さんと同じなの。
ケンジさんの奥さんも納骨はしてなくて、今も骨をそばに置いてあると言う。
愛は深い。
肉体はなくても、そばにいて欲しい。
なんて、
私もそんな恋がしたかった。
って・・・もう遅いかぁ〜💦
2ヶ月に一度長崎の「ワインバー田舎」に呼んでもらってた頃、マスターの梅ちゃんが関西の「金森幸介」さんが好きで、出島ワーフのイベントや田舎でのライブで何度かご一緒させてもらっていた。
その金森さんが福岡でライブと言うので足を運んだ。
もう何処のお店だったかも記憶にない、けど。
その時にOAをされて、その金森さんのライブの企画もされていた「松本ケンジ」さんです。
その時のイメージは、ご本人も歌もなんか「細く儚い」感じがあって、私はとても好きだった。
加川良さんが好きなんだろうな、ってイメージもあった。
その頃何度かケンジさんのライブに足を運んだ記憶がある。
2019年、ちきゅう屋のライブに曽我ちゃんが来た。
同郷の彼はkimiさんがやっていた「カナディアンライブ」で私が福岡に出た後に歌っていて、「カナディアン」では被ってないけど、kimiさんの家やkimiさんがやるイベントで顔を合わせていて、私は彼のストレートな歌と声が好きだった。
彼が私のライブに来たのは、その前は別府の「博堂村」だったか?東京の「マローネ」だったか?
いつだって何処に住んでいるか不明な、神出鬼没な人なの。爆
「今は何処におると?歌ってる?ライブやってる?」と聞くと「来月チープサイドでライブ」だと言う。
「チープサイド」とは40年近くやっている、福岡では老舗のライブハウスだけども、私は縁がなく行ったことはなかった。
一人ではなかなか初めてのお店に行ったりは出来ないので。笑
yotaさんや曽我ちゃんの歌が好きなウチの娘に声をかけて、出向いた。
その時に曽我ちゃんの対バンが「松本ケンジ」さんだった。
そう、あの頃感じた「儚さ」みたいなものはなくなっていて、メッセージ性のある力強い歌に変わっていた。
その時にマスターに「ウチでライブやってください」って言われ、その後2度チープサイドで歌った。
曽我ちゃんがkimiさんに「原口純子さんのライブで僕も歌います」とハガキを書くもんだから、わざわざ大分からkimiさんは2度とも来てくれて、そして松本ケンジさんも来てカウンターの一番端に座って聴いてくれていた。
ケンジさんは目が悪いらしく、ライヴが終わるとすぐに帰ってしまう。
そして決まって「あの歌が好きだったとか、良かったとか、ステージングが」だとか、たくさん褒めてくれて長いmailが届く。
それがまた、嬉しかった。
「私も松本ケンジさんのライブに行きたいから今度誘って」と曽我ちゃんに言うと、「来年2月に東区でありますよ」って話だった。
1月からコロナで世の中が騒ぎ始めていて、その2月のライブも前日に「中止だそうです」って曽我ちゃんから連絡が入る。
「そか、残念。また誘って」と返事をした束の間、翌月3月にケンジさんの訃報が届いた。
11月に「ワインバー田舎」の梅ちゃんの訃報が届いて、
3月にケンジさん、その翌年の3月にkimiさんです。
気持ちも落ちちゃうよ。涙
3.18チープサイドで「松本ケンジさんを偲ぶ夜」に参加させてもらった。
曽我ちゃんも「チープサイド」を紹介してくれたのは松本ケンジさんだそうで、一緒だった。
その日、ケンジさんの奥さんが来ていて、少しお話をさせてもらった。
kimiさんの奥さんの真由さんと同じなの。
ケンジさんの奥さんも納骨はしてなくて、今も骨をそばに置いてあると言う。
愛は深い。
肉体はなくても、そばにいて欲しい。
なんて、
私もそんな恋がしたかった。
って・・・もう遅いかぁ〜💦