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8/20(日)苫小牧「Pit in TERU」

コロナ前までは苫小牧「PubZ」でライブをやってくれていたユキちゃんに連絡を入れると「純子さん、奈良さんが念願だったライブハウスを始めたんです!今度は奈良さんとこでやりませんか!」と言う。

初めての苫小牧のライブは、15年前の2008年集客も見込めない為協力してくれたのは「無名塾」と言うバンドの方々だった。
「無名塾」バンマスは千葉さんで、「今度からホテル取らないでウチに泊まればいいべや」と言ってくれて、私はその後苫小牧では千葉さんにお世話になっている^ ^
奈良さんは「無名塾」のドラム、ユキちゃんはヴォーカルで叔父様バンドに唯一二十代だった若い一番しっかり者の女性です♪

お世話になっていた千葉さんは去年倒れて今も入院中。
千葉さんの娘さんの美和ちゃんと連絡を取り合い、私が苫小牧にいる間に千葉さんとリモートで話せるよう段取りを付けてくれ事になった^ ^

「ありがとうございます😭✨
子供達は、わちゃわちゃし過ぎて家の中もはちゃめちゃだし、あまり休まらないかもですが😅(汗)
良かったら今までのようにウチに泊まって下さい」
と連絡を頂く^ ^
有り難い。涙
今回は苫小牧もホテルを取ろうと思っていたし、小さい子供達とわちゃわちゃに紛れるのも楽しいかも!

札幌から苫小牧まで高速バスで1時間40分。
いつもなら「市役所前」で降りると千葉さんが待っていてくれた。
今回は「市役所前」で降りてタクシー拾えるものか?苫小牧駅まで行った方がタクシー拾いやすいかな?と考えて、、、
種さんに連絡してみた。笑
種さんは千葉さんの音楽仲間で、私も親しくしてるの^ ^
苫小牧駅に種さんが来てくれて千葉さん宅に送ってくれた。
「種さん、ありがとう」と言う私に、
「原口、千葉さん居ないから俺に連絡あるかな?と思ってたんだわ。こちらから出しゃばるのもどーだかなと思ってな」と言ってくれる。涙

千葉さん宅に着いて、美和ちゃんと1歳と2歳の娘ちゃん達にご挨拶をしてライブの支度をしたら、ユキちゃんがお迎えに来てくれて、奈良さんのお店に向かう。

初めての「Pit in TERU」
奈良さんはもうビールを飲んでる。笑
「昨日も飲み過ぎちゃってなー、歩けなくなっちゃって」と言いながら・・・
ユキちゃんとツグさん(「PubZ」の店主でユキちゃんの旦那さま)とでステージのセッティングやリハでPAの調整をしてくれた。

種さん、石川さん、はばじさん、ユキちゃんのお母さんと「PubZ」の常連さんでいつもライブに来てくれていた芳賀さんご夫妻、苫小牧の初めてのライブから来てくれている千葉さんの知り合いで水さん、千葉さんの音楽仲間しげるさんも!それに美和ちゃんがお子さん二人連れて、、、
家に着いた時は、はしゃいで一時もおとなしくしてなくて走り回っていた2歳のいさみも、まだ1歳にならないちよりも、素晴らしく静かに歌を聴いてる!(◎_◎;)

「苫小牧に従兄がいるのさ。で、ライブに行け!って言ってあるから行くと思うんだわ。じゅんちゃん、その時は私の好きな「二人の船」歌ってやって欲しいのさ」と中標津の「JustOne」のママ、ちーちゃんから電話があって、ヒロさんが来てくれた。

ヒロさんは「パンダさん」と呼ばれていて、なんと奈良さんや千葉さんと古いお友達だった!

ライブが終わって、奈良さんが「純子ちゃん、セイさんとこいこーか^ ^」と言う。
「いつも千葉さんがライブ後に連れてってくれたお店やね⁉️」と言うと「そうそう^ ^」って奈良さんです♪

「なかむら」に着くと77歳の奈良さんはもう既に良い気分になっていた。
「千葉ちゃんが、純子ちゃんの歌良いんだって言ってずーっとお世話してたから、これからはオレが純子ちゃんのお世話すっから」と「千葉ちゃんは大切な音楽仲間なんだ」と言った。
それから「純子ちゃんのお陰で、何年振りだろ?パンダさんに逢えてホントに嬉しかったよ。ありがとね、純子ちゃん」って酔っ払って何度も何度も言った。笑


「ありがとう」は、私の方^ ^
千葉さんも美和ちゃんも、ユキちゃんも奈良さんも、、、
変わらず皆んなで私のお世話をしてくれる。
なんて私は幸せ者だろう。


「ありがとう」は私から言わせてね。



8/19(土)札幌「ボストンクラブ」

2020年4月から突然ツアーが出来なくなり、全く歌えなくなった。
保証もなくただただ、お店を閉めるよう要請されたライブハウス。
Facebookに「もうあかん」と神戸や大阪のママのつぶやきを見て、何か出来ないものか?とyotaりん、ヤッピー、つくちゃんとで何度も話し合いをした。
「純子さんらしい事をしよーや!」とyotaりんが言って、結果純子ファンディングの募金で宅録してCDを作り手書きで歌本を作る運びとなった。

その大作業はその年の暮れギリギリに完成し、それまで私がお世話になっていたライブハウスにCDと歌本を寄付させて欲しいと連絡をした。

その時、札幌の「ボストンクラブ」の忠さんは「もう店を閉めようと思ってんだよね」と言った💦

今回、釧路や中標津からオファーを貰い、忠さんに連絡する前に裕介さんに連絡を入れた。
裕介さんはね、コロナ前に初めてライブに来てくれた方。

大学の仲間が関西に居て、ご夫婦でアマチュアの大規模なコンサートイベントを手掛けていて、そこに何度か呼ばれていた裕介さんは、姫路のよしおっさんから「原口純子さんて方が札幌にも行ってて是非一度歌を聴いて欲しい」と言われて来てくれた。
その裕介さんは、忠さんとも古くからの音楽仲間で、そして私が19才でビクターオリジナルコンテストの全国大会で中野サンプラザに九州代表で出た時に北海道代表だった真さんも、裕介さんとは古くからの音楽仲間だそうで!
もうそれだけで私の中では、裕介さんは信頼出来る方だった^ ^

「僕から忠さんに話をつけてライブ決めましょう!」と連絡をくれた^ ^

「活動再開おめでとう!行けたらいくね〜」と真さんから返事が届いて、「行けたらいくね」とか嫌です!逢いたいから絶対に来て!と返事を返した。笑

「実は、去年の今頃は心筋梗塞でバイパス手術を受けて入院していたのです。幸い少しずつ回復してきていますが。ですから、純子さんの歌声をライヴで聴くことができるのはとても幸せなことなんです。」と小樽の古林さんから返事が届く。
小樽の「一匹長屋」の常連さんでヘルプ要請だった古林さんと井戸さんは、私の初めてのライブの時に集客が見込めなくてヘルプで呼ばれて来てくれたのが始まりで、もう長い間必ずライブに来て下さいます♪

4年振りの「ボストンクラブ」
扉を開けると、変わらない気さくさで忠さんが迎えてくれる。
直ぐに裕介さんが来てPAのセッティングをしてくれるんだけど、、、杖をついてるの。
「去年は半年入院生活だったんだよね」と笑う。

後ろに裕介さんの奥さん、チコちゃんが「純子さん、お腹空いてない?」とたこ焼きを差し出してくれる^ ^
そこに「お帰り〜」って真さんが来て、忠さんと裕介さん、真さんとチコちゃんも加わり学生時代の話になり、私も楽しい♪

リハが終わり、一番に古林さんが扉を開けた。
古林さんも「ボストンクラブ」は4年振り。
で、早くからお店に寄付した私のCDと歌本を予約していたそうで、早速サインをする^ ^

「コロナが始まった年に就職して東京に行った娘が突然脳梗塞で倒れて、幸い命に別状なく今は左手に後遺症が残ってそれでもまた今年就職して頑張ってくれてるんです。純子さんが募金をやってるの知ってたんですが、そんなでバタバタしていて気がついたら終わっていて、ごめんなさい」と言った。
「そんな大変な事があったんだね」と言うと、
「その後に母が施設でコロナにかかって亡くなり、去年は僕が心筋梗塞でどうにか一命を取り留めて、やっと純子さんの歌を聴きに来れました」って。。。

もうね、私は始まる前から泣きそうになる。

私が持っていたギターがGibson1本で、スペアのギターとなかなか巡り会えないで困っていた時に連絡をくれて、1952年のMartin0-18を譲ってくれたmmちゃんが来て、初めての北海道ツアーの時から来てくれるSUMちん、札幌「才谷屋」のライブから来てくれてる影さんとサエちゃんが一緒に、千春さんのファンのつどいで福岡のとしぼーや名古屋の孝ちゃんからの紹介で「ボストンクラブ」に来てくれるようになった明ちゃん、コロナ前初めて来てくれた伊音さん、そして初めては羅臼の時にスタッフでいたユキちゃんは「仕事で遅くなったけどとにかく純子さんに逢いたくて」と言って駆けつけてくれた。

「お腹空いてないですか?何処か行きますか!」と井戸さんが言って、「僕ホテル取って来てますから付き合えます」と古林さんが言う。
ね?札幌のホテルは超値上げしていて私は今夜カプセルホテルで8000円⁉️ビジネスホテルは2万円以上だった💦
「ホテル良く取れたね?」と古林さんに聞くと、
「そーなんです。高くてビックリ!でもなんと2万円切るホテル見つけて直ぐにポチしました!19800円ですよ^ ^
で、妻に話して『純子さんなら仕方ない、行って来な』ってお許し貰いました。笑」と話す。
奥様に感謝です。

「じゃ僕は入れそうな店探して来ます」と裕介さんが杖をついて、観光客でごった返しのすすきのの町に飛び出した💦



やっと逢えたね。
長かった。涙
この4年、みんないろんな事があって、
そして今夜、やっと逢えた。





星屑のワルツ

昔ね、好きな人がいたの。

♪これきり逢えなくても構わないのよ
 いつでもこれが最後かもと言い聞かせてるから

今は、そんな思いです。

私の声はいつまで持つんだろう?
来週から、北海道、関東、東北、北陸、伊豆と回り、最後に高知です。
果たして高知まで私はちゃんと歌えるのかな?
そんな不安ばかりが押し寄せてくる。


いつでもこれが最後かもと言い聞かせてるから。



7/22(土)姫路「ゴールデンエイジ」

隊長が「7月のメタボさんが企画のアコースティックナイトのゲストに純子さん出てもらえんかなって言うてるで」と言う。
7/1の「うたの日」にどーしてもこちらに来たくて、7/2に隊長の店「K.county」でライブが決まっていて、私は「そーなると稲美の滞在がまた長くなるけど構わん?」と隊長に聞いた。
「純子さんが良ければ、どんだけおってくれてもウチはかまへんで!」と隊長が笑う。

それで5月に決めれなかった京都「アルバーチョ」と「コロナが落ち着いたら津山に来て欲しい」と兼ねてから言ってもらってた津山と22日にメタボリックス企画のアコナイのゲストを決めた。

メタボのカメさんから「7月度のメタボアコナイ🎸オファー正式にお受け頂きありがとうございますm(_ _)m
楽しみにしていますね~ヽ(`▽´)/」と丁寧な挨拶をもらい、
「 私も肺がんの抗がん剤の副作用で先日肺炎になりやっと戻って来たところです。お互い気をつけながら音楽活動続けて行きましょう〜😄👌宜しくお願い致します🙇」と来ていた。

カメさんは、私の6月のプーティのライブに来てくれた後、また抗がん治療を始めて、しかも今回は少しキツい治療だと言う。それでも7/22のライブはもう復帰している、との話だった。

当日、カメさんはお休み。
副作用が酷く、「顔だけでも出したい」と言うのを荒木師匠が「おとなしくしとけ!」って断ったそうです。
それでも、カメさんが居ないと全くダメダメな荒木師匠(笑)は「隊長、助けてや!」と言ってお客さんで来てた隊長をステージに上げた。頑張ったけど時間はもたず、ゴールデンエイジのマスター龍さんが、4.5曲急遽演奏して盛り上げてくれた。
お客さんも皆さん、事情は知ってくれていて、優しく見守ってくれてます^ ^

カメさん、早く戻ってきてあげてね。
荒木師匠はカメさんいないと全然ダメですわ👎笑

今日はね、お店を臨時休業にして、隊長もみゆきちゃんもスタッフのよっしーもキャンちゃんも来てくれてます。
このツアー「こずみっく」「K.county」「ゴールデンエイジ」と3回来てくれて、「来る度に1枚CD買いますぅ」とゼロちゃん。
同じく「プーティーカフェ」「K.county」「ゴールデンエイジ」と3回来てくれてる徳ちゃんは福知山から今夜はホテルを取っての参加。
私のCDは、初版の「オープニングタイム」から持ってると言う鎌田さんも「K.county」と今夜「ゴールデンエイジ」に来てくれた。
BACKYさんも「K.county」「ゴールデンエイジ」と足を運んでくれてます^ ^

それからね、去年高知の和さんの「向日葵畑miniライブ」で飛び入りで2曲程歌ったのを聴いて、「純子さん また、素敵な歌聞かせて欲しいです😊✨✨」と連絡をくれていた浜田さんが来てくれた。

長く滞在して沢山ライブさせてもらった関西のツアーも今日でひとまず終わりです。

お世話してくださった皆さん、逢いに来てくださった皆さん、本当にありがとうございました。

また関西、直ぐに戻って参ります。笑