千綾奉文氏
「これを日常的に身に付けると精神状態も安定するし、ひょっとして昔通りの声を取り戻せなくても〝唄う〟から〝語る〟ブルースを手に入れることができ、これまでとまた違った〝純子ワールド〟が開ける可能性があります。
またこれまでと同じ喉を取り戻せた場合も〝語るブルース〟をどこかに取り入れることにより次の新しいステップが踏み出せると思います。
要するに今はとにかく喉を休ませること、しかし声帯を含め声にかかわる機能は絶えず鍛練しておくことです。」
素敵な言葉でしょ^^
昨日ブログに書いた千綾さんからのmailです。
突然出て来た「千綾奉文」氏のお名前だったので、今日は千綾さんのお話をします^^
大分の方ならもう説明は要らないのですが。笑
千綾さんは「OBS大分放送」のアナウンサーだった方です。
今は引退されて、音読セミナーの講師やバリアフリーのボランティア活動をされています。
テレビの報道番組でニュースを読まれたりもしていたので大分の人にはお馴染みのお顔とお馴染みの声。
そう、私たちには「お馴染みの声」なんです。
土曜日23:30から30分のラジオ番組「ぶんごみゅーじっくれーだー」は、大分の学生は恐らく誰しも聴いていた番組で、それの企画、進行、お喋りとすべて千綾さんだった。
30分間大分のアマチュアだけを流す番組。
私は中学時代は四国の電波を拾って聴けた「オールナイトニッポン」を聴いて、高校生になってギターを手にしてからは毎週欠かさず楽しみに「ぶんごみゅーじっくれーだー」を聴いた。
そこで掛かる大分のアマチュアの歌は、当時私たちのようにギターを弾き始めた者は全て、全員がギターをコピーして歌えるようになったはずです。
別府の学生だった私は大分まで「コンサート」には行けず、生で聴いたこともない横山さんの「ひとりごと」や夢来の「人生の地図を持たない男」が歌えた。あ、今でも歌えます♪
「誰かのコピーじゃなくて、自分の言葉で歌を作って良いんだ」と気づいたのも「ぶんご」のお陰だった。
オリジナルを作るようなってサークルに入って「コンサート」なんかで歌うようになって・・・
そうしたら「ぶんご」にリクエストが届いて、千綾さんが私たち「ロリーポップ」の紹介をして歌が流れた。
自分の歌がラジオから流れた。
その時の感動ったらなかったなぁ〜!
そうして高校を卒業してからはソロ「原口純子」で時々「ぶんご」で歌が流れるようになった。
その後、私がそうしたようにギターを持った知らない学生が私の歌をコピーしたんだろうか?
それから「ポプコン」の大分大会の司会が千綾さんだった。
私には、千綾さんはラジオの向こう側の遠い人で、そして少し恐い人だった。笑
二人きりで話をした事は、一度もなくて。
それでも、大分を出る時に千綾さんにだけは挨拶に行った。
「大分にいたらね、絶対に見れないハコちゃんのライブ、福岡に出たら一度見ておいた方がいいよ。それとこれからは「活動拠点は?」と聞かれたら「福岡」じゃなくて「博多」と答えなさいね」と千綾さんからのアドバイスでした。
ここ数年、コロナの前までは、良く大分のライブにも顔を出してくれて、お酒も飲まれて気持ち良さそうに歌を聴いてくれる千綾さん。
いつの間にか、遠くて恐い人ではなくなっていた。
先日の「KULO」のライブで誰かが言ってた。
「千綾さんの声を聴いたら、いつだってあの頃に戻れる」と。
ホントに、そう。
yotaさんも高知の弘田さんも「大分のアマチュアシーンには驚く!」って言うけど、それはある意味千綾さんの「ぶんご」があったからだと思います。
あの番組があったから、今もこうして良い仲間がいて、音を楽しんで繋がっていられる。
黒ちゃんが「こんな歳になっても歌いよんとか思ってもなかった」って言ってたけど、、、
きっと誰もが同じように思ってる。
私はあの頃リアルガチで「ぶんごみゅーじっくれーだー」が聴けたことに感謝して、それを誇りに思ってる。
ある意味、今の私があるのは「ぶんご」があったからだとも言える。
千綾さん^^
OBSの局長や社長やもっと上の会長さんとかなんかよりも、千綾さんは他の誰より「OBSの顔」で、誰よりも大きな功績を残されたと思います。
歌に魅せられた私たちを大きく動かしてくれた。
「千綾さんの声を聴いたら、いつだってあの頃に戻れる」
またこれまでと同じ喉を取り戻せた場合も〝語るブルース〟をどこかに取り入れることにより次の新しいステップが踏み出せると思います。
要するに今はとにかく喉を休ませること、しかし声帯を含め声にかかわる機能は絶えず鍛練しておくことです。」
素敵な言葉でしょ^^
昨日ブログに書いた千綾さんからのmailです。
突然出て来た「千綾奉文」氏のお名前だったので、今日は千綾さんのお話をします^^
大分の方ならもう説明は要らないのですが。笑
千綾さんは「OBS大分放送」のアナウンサーだった方です。
今は引退されて、音読セミナーの講師やバリアフリーのボランティア活動をされています。
テレビの報道番組でニュースを読まれたりもしていたので大分の人にはお馴染みのお顔とお馴染みの声。
そう、私たちには「お馴染みの声」なんです。
土曜日23:30から30分のラジオ番組「ぶんごみゅーじっくれーだー」は、大分の学生は恐らく誰しも聴いていた番組で、それの企画、進行、お喋りとすべて千綾さんだった。
30分間大分のアマチュアだけを流す番組。
私は中学時代は四国の電波を拾って聴けた「オールナイトニッポン」を聴いて、高校生になってギターを手にしてからは毎週欠かさず楽しみに「ぶんごみゅーじっくれーだー」を聴いた。
そこで掛かる大分のアマチュアの歌は、当時私たちのようにギターを弾き始めた者は全て、全員がギターをコピーして歌えるようになったはずです。
別府の学生だった私は大分まで「コンサート」には行けず、生で聴いたこともない横山さんの「ひとりごと」や夢来の「人生の地図を持たない男」が歌えた。あ、今でも歌えます♪
「誰かのコピーじゃなくて、自分の言葉で歌を作って良いんだ」と気づいたのも「ぶんご」のお陰だった。
オリジナルを作るようなってサークルに入って「コンサート」なんかで歌うようになって・・・
そうしたら「ぶんご」にリクエストが届いて、千綾さんが私たち「ロリーポップ」の紹介をして歌が流れた。
自分の歌がラジオから流れた。
その時の感動ったらなかったなぁ〜!
そうして高校を卒業してからはソロ「原口純子」で時々「ぶんご」で歌が流れるようになった。
その後、私がそうしたようにギターを持った知らない学生が私の歌をコピーしたんだろうか?
それから「ポプコン」の大分大会の司会が千綾さんだった。
私には、千綾さんはラジオの向こう側の遠い人で、そして少し恐い人だった。笑
二人きりで話をした事は、一度もなくて。
それでも、大分を出る時に千綾さんにだけは挨拶に行った。
「大分にいたらね、絶対に見れないハコちゃんのライブ、福岡に出たら一度見ておいた方がいいよ。それとこれからは「活動拠点は?」と聞かれたら「福岡」じゃなくて「博多」と答えなさいね」と千綾さんからのアドバイスでした。
ここ数年、コロナの前までは、良く大分のライブにも顔を出してくれて、お酒も飲まれて気持ち良さそうに歌を聴いてくれる千綾さん。
いつの間にか、遠くて恐い人ではなくなっていた。
先日の「KULO」のライブで誰かが言ってた。
「千綾さんの声を聴いたら、いつだってあの頃に戻れる」と。
ホントに、そう。
yotaさんも高知の弘田さんも「大分のアマチュアシーンには驚く!」って言うけど、それはある意味千綾さんの「ぶんご」があったからだと思います。
あの番組があったから、今もこうして良い仲間がいて、音を楽しんで繋がっていられる。
黒ちゃんが「こんな歳になっても歌いよんとか思ってもなかった」って言ってたけど、、、
きっと誰もが同じように思ってる。
私はあの頃リアルガチで「ぶんごみゅーじっくれーだー」が聴けたことに感謝して、それを誇りに思ってる。
ある意味、今の私があるのは「ぶんご」があったからだとも言える。
千綾さん^^
OBSの局長や社長やもっと上の会長さんとかなんかよりも、千綾さんは他の誰より「OBSの顔」で、誰よりも大きな功績を残されたと思います。
歌に魅せられた私たちを大きく動かしてくれた。
「千綾さんの声を聴いたら、いつだってあの頃に戻れる」